2016年

12月

28日

アメリカ合衆国大統領あれこれ~ロナルド・レーガンⅠ

第四十代の大統領、ロナルド・ウィルソン・レーガン氏は、初の映画俳優出身の大統領として有名である。

 

彼が大統領に就任したとき、日本ではこんなことが云われた。

 

「日本の首相を、黒澤明氏にしたらどうか?」

2016年

12月

28日

御用納めの日のひとりめし

今日は御用納め、すなわち、お役所は申すに及ばず、たいがいの会社企業でも、今日をもって年内の最終出勤日となり、年末休みに突入する。
たいがいの、と、云うことは、そうでないところも、もちろんあり、各種サービス業や、中小企業のなかでは、年末最終日まで仕事、と、云うところも、少なくあるまい。
昨今では長時間労働抑制、働き方改革、などとの官製美辞麗句により、百貨店にしろ、スーパーにしろ、年末ギリギリまで、そして、正月1日から、営業することもあるまい、と、云う世論が、澎湃として湧きあがっているようだが、日本全国津々浦々、あらゆる人々の意識に浸透している、と、までには、いたっていないようである。
まして、専業に家事を取り仕切る主婦主夫には、祝日も、休日も、年末年始の休みも、ないのだ、と、云うことを、その脳裏にとどめている人は、いく人いるであろうか。
これを機会に、日頃お世話になっている家族に、感謝の念を捧げても、バチは当たるまい。
もっとも、そのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
御用が納まろうが納まるまいが、相も変らぬ、いつもどおりの献立である。

献立:トースト(6枚切り×2枚)半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース

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2016年

12月

27日

ピーターパンの日のひとりめし

ピーターパンはいまでも人気の高い童話のひとつである。詳しいストーリーは憶えていなくても、まったく知らない、と、云う人は、おそらくおるまい。
ピーターパンのみならず、ウェンディ、フック船長、ネバーランドなどの造形は、子どものみならず、大人をもワクワクさせる、魅力あふれるものである。
1980年代には、「精神的に大人になり切れない男性」もしくは「大人になること(成長すること)を拒否する男性」を指して、“ピーターパン・シンドローム”なる言葉が流行った。
1904年(明治37年)の今日、ロンドンで、『ピーターパン』の初演が催された。
そんなわけで、今日は、“ピーターパンの日”であるらしい。
わたいもいわゆるひとつの“ピーターパン・シンドローマー”であることを否定できない(このBlogの執筆者はだれも否定できないだろう)が、そのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
暮れが押詰ろうが押詰るまいが、なんらの変化もない、相変わらずの献立である。
バナナが写っているが、中味が腐っていて、とても食べられなかった。
もったいないことである。

 

献立:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース

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2016年

12月

22日

アメリカ合衆国大統領あれこれ

 

フォード大統領は、現職の合衆国大統領として来日した、初めての大統領である。

 

二〇〇〇年の大統領選挙に勝利して第四十三代の合衆国大統領になったブッシュ氏は、父親も大統領を勤めた二番目の人である。

 

最初に親子二代で大統領になったのは、第二代のジョン・アダムズと、その息子ジョン・クインシー・アダムズ(第六代)である。

 

因みに第二十三代の大統領ベンジャミン・ハリソン氏は、祖父が大統領を勤めた(第九代のウィリアム・ヘンリー・ハリソン)唯一の大統領である。彼は就任式に、祖父の形見の帽子を用いて臨んだ。

 

その第九代大統領ウィリアム・ヘンリー・ハリソン氏は、「在任期間最短(約一ヶ月)」、「任期中に死亡した初」の大統領である。

 

 

2016年

12月

22日

内閣制度発足の日のひとりめし

1885年(明治18年)の今日、それまでの太政官制度に替り、本邦初の内閣制度が発足した。
首班となる内閣総理大臣には、長州出身の伊藤博文が坐したことは、みなさん、ご存じのとおりである。
奇妙なのは、このときにはまだ、憲法(大日本帝国憲法)が存在していなかったことである。
わたいの感覚としては、憲法が制定され、その規定に基づいて、内閣が発足し、議会議員選挙が行われ、議会が構成される、と、思うのだが、実際には──少なくとも我が国においては──そうではなかった。
ちなみに、日本初の近代立憲主義に基づく憲法が発布されたのは、内閣発足から4年後の、1889年(明治22年)のことである。
そのときの内閣は、薩摩出身の黒田清隆を首班に戴くものであった。
学生時代、日本史の試験で、大日本帝国憲法発布時の内閣総理大臣はだれかを問う問題に、ほとんど生徒が「伊藤博文」と答えたのを知って、苦笑を禁じ得なかった。
伊藤は憲法制定のために内閣総理の職を辞し、後継に薩摩の黒田を推したのである。
まぁ、そんなことなど知らなくても生きては行けるし、知ってるからと云って偉いわけでも恥ずべきことでもない。
もちろん、そのことを知っているから、と、云って、わたいの食卓に並ぶ献立に影響が及ぶはずもない。
いつもどおりの、変り映えのせぬ献立である。
ところで、本邦初の内閣制度発足と相成ったこの日、その内閣を構成していた閣僚の諸士は、いったい、どのような朝食を喫したのであろうか。

 

献立:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ(3本)

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