2016年9月

2016年

9月

30日

2016年9月最終日のひとりめし

今週は梅雨時のように蒸し暑く、寝苦しい夜が続いたが、今朝は一転して、いかにも秋寒の、本来のこの時季らしい涼しさとなった。
早いもので、今年も残すところ、あと3ヶ月である。
1日1日を精一杯打ち込んで、その日その日を一生懸命に生き続けていると、あるときふと、いつの間にか、多大なる時間が過ぎ去ってしまったことに気づく。
ましてや、毎日毎日、相も変らぬ献立の食事を摂ってばかりの身には、変化とか、時の流れとか云うものが、まるで感じられないのである。

 

献立:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、トマト・ジュース、バナナ

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2016年

9月

29日

スコットランド・ヤード発足記念日のひとりめし

“シャーロック・ホームズもの”などで有名なスコットランド・ヤードが、我が国の警視庁に対応する首都警察であることは、いまとなっては、さほど推理小説に通暁していない人々にでも分かりきったことのように思われているが、かつてはこの“スコットランド・ヤード”を、“スコットランドの庭”と訳してきた翻訳者がいた、と、云うのは、そのスジでは、有名な笑い話である。
“スコットランド・ヤード”と云うのは愛称であって、正式には“ロンドン警視庁(Metropolitan Police Service、略してMPS)と云う。さながら我が国の警視庁が、“桜田門”の愛称で呼ばれていることにも似ている。どちらも所在地の地名が、愛称の由来となっている。
1829年の今日9月29日は、そのイギリスの首都警察であるスコットランド・ヤードが発足した日である。
しかしそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
パンがフランス・パンではない、と、云うだけで、イギリス風の朝食、と、云おうと思えば、云えないこともないかも知れない。

献立:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、トマト・ジュース、バナナ

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2016年

9月

28日

八戸帰りのひとりめし

久しぶりのひとりめし、で、あるのは、今月の17日(土)から20日(月)まで、恒例(?)の、秋の八戸行だったためである。
帰阪してからは、八戸ボケで、とても宅のことをする気力がなかった。
そんなわけで、久しぶりの掲載とはなったのだが、内容は相変わらず、である。

 

献立:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、トマト・ジュース、バナナ

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2016年

9月

16日

ピーター・フォークの誕生日のひとりめし

「いえね、ウチのカミさんがねぇ……」、「あ、すいません、もう一つだけ……」、「そこんところが、どうも分かんないんですよねぇ……」
ご存じ、“刑事コロンボ”の名台詞(?)である。
“刑事コロンボ”シリーズは、日米のみならず、世界中でヒットし、ピーター・フォーク演じるロサンジェルス警察の(そうは見えない)敏腕刑事コロンボは、だれもが知る有名なキャラクターとなった。
今日9月16日は、そのピーター・フォークの誕生日である。
ピーター・フォークと云えば刑事コロンボだが、彼はそのほかにも、数多くのTVドラマや映画にも出演しており、とりわけ、『マルタの鷹』と『カサブランカ』をパロッたコメディ映画『名探偵再登場』は、お気に入りの一品である。
TVドラマでは、“ミステリー・ゾーン”のなかの「鏡」で、南米(と、思しき国)で、クーデターを敢行して独裁者となる軍人(フィデル・カストロがモデル?)を演じて、コロンボとは違った演技を見せている。
幅の広い、演技達者な俳優である。
もちろん、そのことと、わたいの食卓を飾る献立とには、なんらの関連もない。
そう云えば、“刑事コロンボ”のとある作品(「溶ける糸」だったかな?)で、徹夜明けの早朝に現場に呼び出されたコロンボが、ただでさえ眠たげな眼を、いっそう眠たげにショボつかせ、「コーヒーない?」と、コーヒーを捜し求め、とりあえずの腹ごなしに、と、手にした茹で卵の殻を、鑑識員が差し出した凶器の鉄パイプで割る場面があった。ユーモラスでありながら、コロンボのキャラクターが如実に出ている、巧みな演出場面であった。

 

献立:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、ばなな(小2本)

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2016年

9月

15日

十五夜の日のひとりめし


今日は十五夜、いわゆる「中秋の名月」の日である。
年ごとに日付の変わる祝祭日を“移動祝祭日”と云うが、さしずめこの十五夜も、そのうちのひとつと云えるだろう。
この日の名月を愉しむ風習は、平安時代頃に中国から伝わったようで、平安貴族の間では、観月の宴や、舟遊びで歌を詠み、宴を催したようである。
舟遊びと云っても、ただ単に舟を出して歌を詠み、宴を催しただけでなく、舟中から水面に揺れる月を観て楽しむ、と、云った趣向であったらしい。
彼らは、直接に月を愛でるわけではなく、杯や池に月を映して、その風情を楽しんでいたらしい。さすがに日本の趣向は、雅にして風流なものである。
しかしそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
十五夜の日に、雲などで月が隠れて見えないことを「無月(むげつ)」と云い、雨が降ることを「雨月(うげつ)」と呼んで、月が見えないながらもなんとなくほの明るい風情を賞するものとされるらしいが、わたいの食卓には、名月も無月も雨月もない。

いたって無風流な食卓である。

 

献立:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ(小2本)

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