9月25日(金)

さてさて、愉しい時日は、瞬く間に過ぎ去るものである。

一週間にもわたった今回の旅行(?)も、実体感からすれば、仕事日の半日に均しい時間だった。

さて、今回最後の食事である。

当然、三杯飯、である。

その後、部屋から荷物を降ろして、病院に向かう。

慌てて帰る必要もない。治療してもらってからゆっくり帰っても遅くはない。

八戸~大阪、東京での乗り継ぎが順調に行けば、約6時間である。

移動時間だけから云えば、日本は小さくなりにけり、である。

さて、治療を終えて旅宿に戻り、会計を済ませて世話になった礼を述べ、名残惜しくも八戸を後にせんとする。

と、時を同じくして、旅宿を発たんとする母娘がいる。

同宿していながら、食事には姿を見せなかった母娘である。

子どもは小学校の低学年、一年生か、二年生であろうか。

おとなしそうな、かわいらしい娘である。

先だって病院で話しかけた折にも、うつむいて、言葉すくなに返答するだけだった。

人見知りする性格なのかもしれない。幼少にしてこのような病を患っていれば、それも無理からぬことだろう、と、我が身に引き換えてそう思う。

それにつけても、親御さんは大変なことだろう、と、見てみれば、まだ若いのにもかかわらず、どこかに疲れたような影がある。

旅は道連れ世は情け、袖擦り合うも他生の縁、躓く石も縁の端、との言葉もある。

ここで会ったもなにかの縁、せめてそのあたりまででも一緒に行こう、と、ともに歩き出す。

「どちらからいらっしゃったんですか」

と、こんな場合に、だれもが訊くようなことを訊いた。

「滋賀からです」

滋賀ならば、おなじ関西である。

滋賀の人はそうは思わないかもしれないが、はるか八戸の地で聞くと、滋賀も同じ関西圏と思ってしまう。

なにしろ、同宿し、おなじ病院に通う人たちも、秋田、岩手、青森(八戸も青森やん! と、思うが)、山形、宮城、福島、と、云った、東北の人たち、千葉、群馬、東京、茨木、埼玉、と云った、関東圏の人たちが多い。

関西圏の人はめずらしい。

わたいがこの母娘に親近の情を抱いたのも、無理からぬことであろう。

聞けば今回初めて、受診に訪れたのだ、と、云う。

娘さんがアトピーで、近隣の医者では手に負えず、人伝てに聞いたこの病院を頼ってやって来たらしい。

 「そうですか。それは、ご苦労なされたでしょうね」我が身に引き比べて、そう思った。「こちらの病院なら大丈夫ですよ。絶対、よくなります。実際、ぼくも、そうだったんですから」

そこで、自分の話をした。自分も酷いアトピーで、皮膚がボロボロだったこと、自分も家族も、到底治癒しないものと、諦めていたこと、それがここの病院のおかげで、傍目には分らないほどに快復したこと、などを、話した。

わたいの話に興味を抱いてくれたのか、娘さんの病状を離すことのできる人間がいた、と、思ってくれたのか、当初は本八戸駅までバスで行く予定だったのを変更して、歩くとけっこう時間がかかりますよ、と、云ったにもかかわらず、一緒に歩いて行くことにしてくれた。

おたがいの身の上話、と、云っては大仰だが、駅までの道々、おたがいにいろんなことを話した。

その間、幼い娘さんは、始終、お母さんが引いていくキャリー・バッグの紐を引っ張って、しきりにその歩みを妨害しようとしている。

そのさまがあまりにかわいらしかったので、

「こらこら、そないなことしたら、お母さん、歩きにくいやろ」

「そんなことしてたら、お母さん、しんどいで」

などと、揶揄っていたが、それでもその娘は、キャリー・バッグの紐を引っ張るのをやめない。

ついに、

「なんや、そない、滋賀に帰るン、いやなんか」

「そない、八戸におりたいんか」

と、云うと、その娘はためらいもせず、勢いよくうなずいた。

そのあまりの素直さに、思わず笑みが洩れた。

思えば、自分も同じである。

空気はきれい、食事は美味しい、時はのんびり、ゆったりと流れ、いささかもコセついたところがない。

分ってる。それが旅行中の贅沢である、と、云うことは……。

しかし、毎日毎日、都会の慌ただしい生活のなかで、それこそ分刻みの行動に駆り立てられている身としては、かかる別天地で過ごす日々に愛惜の念を抱き、いつまでもその毎日が続くようにと願うのも、無理からぬことではあるまいか。

幼少の身とは云え、この娘も同じ思いなのだろう、と、思うと、年齢の差を超えて、同じ思いを抱く“同志”のような気がしてならなくなる。

旅宿から本八戸駅まで、その母娘と連れ立って、色々な話をしながら歩いた。

そこで帰阪の切符を買い、JR八戸線で、八戸駅に向かう。

ちなみに――

らしい。

さぁ、みなさん、ガンバって、マスターしましょう!

ここが、八戸駅である。ここから、東北新幹線に乗って、東京に向かう。

復路の切符である。

昼飯で――

その中身。

ふだんはショボい飯ばっかり食っているから、こんなときだけは、贅沢するのである。

旅宿から一緒に連れ立ってきた母娘とは、東京駅で別れた。

「元気にしてような」

と、頭をなでると、

「ウン」

と、その娘は嬉しそうにうなずいた。

ほんとうに、元気に明るく、毎日を過ごしてくれればいいと思う。

大阪行の東海道新幹線に乗って――、

昼飯、第2弾、である。

その中身。

深川めしである。

八戸行の愉しみのひとつは、この“深川めし”である。

夏目漱石の『三四郎』のなかで、熊本の高等学校を卒業して東京の大学に進学することになった三四郎が、上京途上の車中で鮎の煮浸しをくわえたまま、美しい女性の後ろ姿に見惚れる場面がある。

なぜかその場面が好きで、東京へ来るたびに、この“深川めし”を買って、食べている。

もっとも、三四郎と違って、鮎の煮浸し(深川めしでは、鮎の甘露煮だが、このさい、細かいことは抜きにして、)をくわえたまま、後ろ姿に見惚れるような女性と同席したことはない。

知っている人(知人とか、友人とかとは、とてもおこがましくていえない。こちらの気もちはそうなんだが……)がいてはる、と、思うと、なにか特別な土地のような気がするから、不思議である。

お笑い、下品、コテコテ、下町、ヒョウ柄コートのオバちゃん、ボケとツッコミ、たこ焼き、お好み焼き、食いだおれ……。

良くも悪くも、いろいろ云われるけど……

♬やっぱ、好っきゃね~ん♡

伊万里に次ぐ、第二の故郷、である。

(陰の声:八戸は?)

う~ん、第三の故郷、かな?

さて、今回の“八戸紀行”は、これでおしまいである。

お付き合いくださったみなさま、ありがとうございましたm(__)m

次回は2016年(平成28年)の春、ゴールデン・ウィークの予定である。

乞う、ご期待(陰の声:おいおい、大丈夫か!? そんなこと云うて)