9月19日(土)
♬恋人よ~ ぼくは旅立つぅ~(陰の声:ハイ、みなさん、ご一緒に。♬恋人もいないのにぃ~)
そんなわけで、定例の八戸行である。
退屈な日常を離れての八戸行、今回はどんな出会いや愉しみが待っているのか、ワクワク、ドキドキの八戸行である♡
朝食である。ふだんは自作のショボい飯ばかり食っているので、こんなときばかりは、ぜ~たくするのである。
中身である。
なかなかご~せ~な弁当である。
今回の切符である。
乗車券は往復。特急指定券は片道。
復路もあらかじめ買っておくと、時間に縛られて窮屈な思いをするため、復路は復路で、帰りのその日に買うのである。
名古屋には音楽を通じて知り合ったお方がいる。
かわいい女性と、仲代達矢似のカッコいい男性である。
一度遊びに伺いたい、と、思いながら、いつも、失礼している(;^_^A アセアセ・・・
横浜にも、音楽を通して知り合ったお方がいる。麗しい女性である。
大阪から横浜に移られて、だいぶになる。
久しぶりにお会いしたいものである。
だよ、おっかさん!
と、云うワケで、定刻(11:56)どおり、東京着である。
ただし、八戸行の発車時刻は、16:28、ほぼ4時間半の後である……。
シルヴァー・ウィークのことゆえ、大阪から東京への切符がなかなか手に入らない、と、云うのなら解るが、なんでまた、東京から八戸へ向かうのに、4時間半近くも待たねばならないのだろうか?
その謎が解けたのは、1週間近くの八戸滞在を終えて、大阪に帰るときであった……。
じつに久しぶりの東京である。
ここは思い切って、フンパツして、豪華な昼飯を食そうか、と、駅前のデパートの最上階に足を運んでみたが、各店舗のショウ・ウィンドウに陳ぶ食事の値段は、四~五千円台である。
しかも、それほどの料理とも思えない。
「バカにするな!」
「やっぱり東京は物価が高い」
「東京者は見栄っ張りだから、値段が高ければ、ステータスが上がると、カン違いしてるんだろう」
等々と、(心のなかで)毒づきながら、地下に戻り、セルフ・サーヴィスのカレー屋で、野菜カレーと生野菜サラダを食べた。
いいわい、どうせこれから、八戸の、美味しい、海の幸を、たらふく食べられるのだから……、と、それを愉しみにして。
さて、昼飯はそれでいいとして、これからの4時間半近くを、どうやって過ごそう。
最初は、どこかの喫茶店で本でも読もう、と、思ったが、
「せっかく東京に来たのだから」
と、上野公園に赴くことにする。
駅員さんに、上野駅への行き方を訊いて、山手線で2駅、目指す上野駅に着く。
で、上野公園と云えば、と~ぜん、この人、である。
西郷隆盛、通称:吉之助、である。
この銅像は、彼の死後数十年を経て、有志の尽力により建立されたものである。その除幕式に列席した隆盛の妻:糸子が、「うちの人は、こげん人じゃなかった」
と、つぶやき、
隆盛の弟:従道に、
「姉者、そげなこつ、云うもんじゃなか」
と、たしなめられたのは、有名な逸話である。
なお、西郷ドンが、
「我が国に無礼を働く朝鮮など、武力を以て、これを討つべし!」
と、いわゆる“征韓論”を唱えた、と、のたもう輩がいるが、
西郷ドンが唱えたのは、
「政府の正式な使節を派遣し、道理を以て、彼の国(朝鮮)の誤解を解くべし」
と、いうことであった。
上野東叡山寛永寺である。
徳川将軍家の菩提寺であるとともに、戊辰の役の際には、彰義隊が立て籠もった屯所でもある。
そんなわけで、ここには、彰義隊の墓がある。
と、云うわけである。
しかし、わたいにとって、上野、と、云えば、彰義隊でも、西郷ドン(ちなみに、ツウは、“さいごうどん”とは云わずに、“せごどん”と、云う)でもなく、ましてや、パンダや、動物園などではない。
わたいにとって、上野、と、云えば、なんと云ってもこれ――
上野精養軒、である。
この駐車場の脇に、黒い制服に身を包んだ、品のよさそうな初老の紳士が立っていた。
精養軒の人に違いない、と、見定めて、
「あの、失礼ですが」
と、声をかけた。
「こちらがあの、精養軒でしょうか」
「さようでございます」
「あの、夏目漱石の作品で有名な、あの、精養軒ですか」
「さようでございます」
「『三四郎』や『それから』に出てくる、あの、精養軒なんですね」
「ええ。おっしゃるとおりでございます」
やっぱり、ここだったのだ!
『三四郎』で、与次郎たちが会合を開き、『それから』で、代助と兄の誠吾が飯を食ったのは!
「ダーターファブラ!」
上野の山を下りると、不忍池である。
上野寛永寺に立て籠もった彰義隊の面々は、この不忍池を天険の要害とみなして、この池があるから大丈夫だ、と、信じていた。
ところが、村田蔵六(大村益次郎)が肥前佐賀藩から借り受けたアームストロング砲の砲弾は、この不忍池を飛び越えて、上野の山内に落下した!
上野公園を下りて駅に向かう途中、こんなものが目に付いた。
川柳発祥の地だそうである。
川柳は好きなのだが、まさかここが、その発祥の地とは思わなかった。
上野駅に戻って、東大を見に行こう、と、決する。
別段、東大が好きなわけではないが、高木彬光氏の『わが一高時代の犯罪』や、夏目漱石の『三四郎』を愛読する身とすれば、やはりどうしても、あの時計台や、三四郎池は見ておきたい。
じつは以前にも東京を訪れた際、何食わぬ顔をして東大のキャンパス内に入り、三四郎池を堪能した思い出がある。
「ここに三四郎がいたんだな」
「美禰子が立ってたのは、あのあたりかな」
「与次郎と三四郎が、先輩の都都逸の話をしていたのは、どのへんだろうか」
などと、愉しんだものである。
さて、もう一度、と、思っても、不思議なことに、あのときどうやって東大まで行ったのか、その経路が思い出せない。
やむなく、上野で駅員さんに訊いて、地下鉄で赴くが、その地下鉄が、大阪と違って、二種類あるそうである。都営地下鉄とメトロ線である。そのため、切符がどうの、乗継がこうのと、少々もめたが、なんとか無事に、教えられた駅に着いた。
さて、着いたはいいが、そこからどう行くのかが分らない。さんざん迷って諦めかけた頃、やっと、目指す赤門前に着いた。
たどり着いてみればなんのことはない。すぐそこだった。だいぶ大回りしたものである。
さて、着いたはいいが、当然のことながら、構内には入れない。
以前に来たときには、まだ若かったから、度胸に委せて平然と入って行ったが、今回はそうはいかなかった。
第一、昨今の風潮からか、門衛が厳しくなっている。
表門も裏門も、守衛さんが固めていて、とてもとぼけて入って行くわけにはいかない。やむなく構内に入るのは諦めて、裏手の方から、引き返すことにした。
で、
この道を……
下って行くと……
♬しのぶ、しのばず~
で、ある。
さて、ここは……
明治の富豪、三菱財閥を創始した岩崎家の塀である。
『野分』で高柳くんが、「頭をぶつけて壊してやりたい」と、思ったのは、このあたりだろうか……。
無縁坂が舞台(?)になっている鴎外の小説に、『雁』と、云うのがあるが、と、すると、この生物は、雁だろうか?
わたいにはどうも、鴨に思えるのだが……。
SNSで友人知己に問い合わせてみると、やはり、鴨、それも、合鴨ではないか、と、云うことであった。
やはり、わたいのカン(?)は正しかった、と、意を強くしたが、それにしても、鴨、と、聞いて、
「うまそう~」
と、思ったわたいは、残酷にして食いしん坊の、薄情な人間である……(T_T)
気を取り直して……
無縁坂を下り切った突き当りから、上野駅方面に向かって歩き出したあたりから見た、不忍池である。
結局、東大から上野公園まで歩いても、大した距離ではなかった。
散歩にちょうどいいくらいである。
なにもわざわざ電車(地下鉄)で行くこともなかった。
なるほど、東大生である与次郎たちが、精養軒で会合を開くには、ちょうどいい距離だろう。
で、上野公園に戻ってみると、その下、おそらくは、西郷どんの銅像の下あたりにあったのが――
で、ある。
これを、バチあたり、と、憤慨するか――、
あるいは、江戸っ子のユーモア、と、笑うか――、
悩ましいところである。
さて、上野公園下をめぐって、上野駅に向かっていると、なんとも明るいギターの音色と、かわいらしい歌声が聴こえてくる。往年の川本真琴を思い出させるギター&歌である。
かつての激烈なる川本真琴ファンとあっては、大いに興味をそそられざるをえなかった。
――ストリート・ミュージシャンか。それにしても、エライかわいらしい声やな。ギターも達者やし。
と、近づいてみると、はたして、駅の改札外で、ギターを弾きながら歌っている娘がいた。
これがまた、なんともかわいらしい娘!
元気で、明るくて、愛らしくて……なぜかほのぼのと愉しくなってくる。
路上とは云え、ステージである。
なれなれしく声をかけては失礼、と、思い、手真似で写真を撮ってもいいか、訊ねたところ――、
「うわぁ~、写真ですかぁ~♡ ありがとうございます! ドンドン撮ってくださいねぇ♪」
と、なんとも気さくなお返事。
ポーズまで、とってくださった!
で、お言葉に甘えて、もう一枚。
演奏中の写真。
なんでも100回ライヴを敢行中だとかで、この日は49回目に当たるそうである。
富山県射水市の出身だそうで、わたいが大阪から来た、と、云うと、
「わぁ~、大阪ですか。大阪、大好きです」
と、心底嬉しそうに云ってくださったのは、とてもリップ・サーヴィスとは思えなかった。
ほんとうに明るい、気さくな、いい娘である。
“好男子”という言葉を模して云えば、近来めずらしい、“好女子”である♡
富山の田舎(失礼!)から花のお江戸に出てきて、明るく愉しく、ギター一本で夢に向かってチャレンジしているその姿は、まことに清々しく、好感のもてる娘である。
いつの日にかその夢をかなえ、日本中のだれもが知っている女の子になってほしい! と、勝手ながら、そう思わずにはいられなかった。
水越ユカchanである。
http://ameblo.jp/miyu328/
みなさんぜひ、応援しましょう!
さて、いつまでも聴いていたかったが、そうもならず、後ろ髪を引かれる思いで、上野の駅を後にした。
新幹線の車内でぐっすり眠り、やっと八戸駅に着いたときには、午後8時を回っていた。
ところが、これで終点ではない。
この先、JR八戸線に乗って、本八戸駅に向かわねばらないのである。
待ち時間、約30分。
その間に喫したのが、上述の晩飯である。
そうして、やっとたどり着いたのが、いつもお世話になっている常宿――八千代旅館である。
旅宿のおばちゃんには、8時過ぎくらいになります、と、云っていたのが、フタを開けてみると、なんと9時をまわっていた。
とりあえず荷物を部屋に運び、お風呂をいただいて、この長い一日を終えるべく、寝床に着いた次第であった……。