ベーコン

みなさん、こんにちは。
今日は、ベーコンのお話をしましょう。
ベーコンと云いましても、豚肉を塩漬けにして燻製にした、卵と一緒に炒めると美味しいものではありません。
イギリスの哲学者、フランシス・ベーコンの話です。

ベーコン、ヴェルラムのフランシス・ベーコン(Francis Bacon)は、 1561年の122日に生まれ、1626年の49日に亡くなりました。ベーコンのことをお話しする前に、彼が生まれ、そして死んで行ったのは、どのような時代だったのでしょうか。その時代背景を、年表風に記してみましょう。

 

 

【時代背景】

1300年代~1500年代 ルネサンス時代

1517年 ルターによる宗教改革の始まり。

1524年 ドイツ農民戦争勃発。

1558年 エリザベス女王(Ⅰ世)戴冠。

1561年 フランシス・ベーコン誕生。

1564年 シェークスピア誕生。

     ミケランジェロ死去。

1588年 アマルダの海戦。

1590年 豊臣秀吉による天下統一。戦国時代の終了。

1596年 デカルト誕生。

1600年 関ケ原の合戦。

     『ハムレット』執筆

1603年 徳川家康、征夷大将軍に任ぜられる。

     エリザベス女王(Ⅰ世)崩御。

1616年 ガリレオ 第1回異端審問。

     シェークスピア死去。

1618年 三十年戦争勃発。

1620年 ベーコン『ノヴム・オルガヌム(新機関)』(59歳)

1622年 リシュリュー(『三銃士』の敵役)、枢機卿就任。

1623年 徳川家光 征夷大将軍に任ぜられる。

1624年 リシュリュー 首席国務大臣(事実上の宰相)就任。

1626年 ベーコン死去。

1632年 ガリレオ 『天文対話』発行。

1633年 ガリレオ 第2回異端審問。

1637年 島原の乱、勃発。

     デカルト『方法序説』刊行(41歳)

1641年 清教徒革命。

     デカルト『省察』刊行(45歳)

1642年 リシュリュー 死去。

1643年 ルイ14世 フランス国王に即位。

1644年 デカルト『哲学原理』刊行(48歳)

1649年 清教徒革命終結。

     デカルト『情念論』刊行(53歳)

1650年 デカルト死去。

1651年 徳川家光死去。

1661年 ルイ14世、親政開始。 

 

【主著】

1620年(59歳)『ノヴム・オルガヌム(新機関)』(岩波文庫)

〔話のネタ〕

ベーコンの主著は、この『ノヴム・オルガヌム(新機関)』です。岩波文庫から出ていますので(絶版になっているかも知れませんが)、わりと手に入りやすいと思います。

彼の有名な、“四つのイドラ”――「種族のイドラ」、「洞窟のイドラ」、「市場のイドラ」、「劇場のイドラ」――は、この書に記されています。

 

【引用&注釈】

「経験すなわち観察し実験する自然研究を意識的に原理とし、しかもこれをスコラ哲学とこれまでの学の方法とにはっきり対立させた」

 ☞ と、云うよりも、ベーコンが掲げた原理が、それ自体で、スコラ哲学や、それまでの学の方法と対立するものだった、と、云ったほうがいいでしょうね。

「したがってしばしば新しい哲学の先頭におかれる。」

 ☞ 新しい哲学、すなわち近世哲学、ですね。

   スコラ哲学と訣別することによって、新しい哲学、すなわち近世哲学が始まったのです。

「諸科学はこれまできわめて歎かわしい状態にあった」

「哲学は空虚で無駄な言葉争いに没頭し、幾世紀もの間、人間生活に真に役だつような仕事や実験は一つとして生みださなかった。これまでの論理学は、真理の探究というよりむしろ誤謬の固定に役だった。これらすべては何に起因するのか。これまでの諸科学のみじめさは何に由来するのか。それは、科学がその根である自然と経験とから遊離したからである。」

 ☞ ベーコンによれば、従来のスコラ哲学は、空虚で無駄な言葉争いにすぎないものでした。

   科学の根本は、自然と経験にある、と、云うのです。

「今や、学問をもっとも低い基礎から更新し復興し改革しなければならない。今や知識の新しい地盤、学問の新しい原理を発見しなければならない。こうした学問の改革および本本治療には二つの条件が必要である。その客観的条件は、学問を経験と自然科学とに還元することであり、その主観的条件は、伝統的な学問や世論やわれわれ自身の(個人的な、および共通の)性質がわれわれに真実と思いこませている、あらゆる先入見と幻像(idola)から精神が脱却することである。この二条件がそろって自然科学の正しい方法が生れるのであるが、その方法とはすなわち帰納法にほかならない。学問の健全はまったく真の帰納法にかかっている。」

 ☞ 新たな学問は、経験と自然科学に基礎を置き、あらゆる先入見と幻像(idola)を排することにある、と、云うのが、ベーコンの主張です。

「以上の諸命題のうちにベーコンの哲学は含まれている。」

「かれの歴史的意義は、一般的に言えば、かれが同時代人の人々の眼と思考とを再び与えられた現実、まず第一に自然に向け、以前は偶然事にすぎなかった経験をそれ自身思考の対象とし、経験が必要欠くべからざることを一般に意識させたことにある。科学的な経験の原理、思考的な自然研究の原理をもたらしたのがかれの功績である。しかし、かれの意義はただこの原理をかかげたことにある。」

 

【私見】

ベーコンは「自然」を対象とし、「自然の解明」を課題としました。そしてその課題を解決するのに、「精緻な実験」を重視しました。

そのことによって、哲学に新たな道を切り開いた、と、云うのが、哲学史上におけるベーコンの功績として、通説になっているようです。

しかしそれは間違っています。

「自然」は哲学の対象ではなく、「自然の解明」は哲学の課題ではありません。

そのことを明確にしたのが――少なくとも、その端緒を拓いたのが――、哲学史上における、ベーコンの功績なのです。

ベーコンは、「自然」を研究の対象とし、「自然の解明」を課題とし、そのために「精緻な実験」を重視することを提唱することによって、自然哲学を自然科学に推し進めました。少なくとも、その端緒をなしました。

ベーコンの功績は、自然哲学を、哲学として、刷新したことにあるのではなく、従来の自然哲学を自然科学に押し進めることによって、哲学の対象から「自然」を分離したことにあるのです。

 

【余談】

ベーコン以降、彼の提唱した方法、或いは考え方――哲学風に云えば、原理――、は、他の学問分野──政治、法律、歴史、等々──にも適用されるようになりました。

実証科学の時代の幕開けです。

それは自然の分野のみにとどまらず、社会、人文の分野へも、その影響を拡げていきました。

中世にキリスト教によって、“婢”の位置にまで貶められた哲学を復活させ、古代ギリシア哲学の成果に実証科学の手法を適用することによって、哲学に新たな地平を切り拓いたのが、近世哲学の功績です。

近世哲学が切り拓いた哲学の「新たな地平」とは、かつて哲学の対象であったものに実証科学の手法を適用することによって、それらを哲学の対象から分離したことです。

そうして哲学は、その対象をしだいに絞られていき、哲学本来の対象を獲得するようになるのです。

近世以降の哲学史とは、哲学が自己本来の対象を獲得していく過程、と、云っても、過言ではないかもしれません