スコラ哲学から近世哲学へ

近世哲学は、中世の、いわゆるスコラ哲学の発展的解消から出発したのではなく、その否定から始まりました。

キッカケをなしたのは、イタリア・ルネサンスと、自然科学の擡頭でした。

イタリア・ルネサンスの意義は、古代ギリシア・ローマ世界の発見によって、それまでのキリスト教世界を相対化したところにありました。

それまで、唯一無二だったキリスト教による世界観の絶対性が否定され、キリスト教以前の人々の暮らし、文化が、知れ渡るようになったのです。

それは、妙な比喩かもしれませんが、徳川幕府の末期、鎖国と云うのは、古来からの日本の掟であったのではなく、かつては日本も、多くの外国人――当時の云い方ですと、夷狄――を受け入れていたことを知った日本人の衝撃に似ているかも知れません。

なにしろその頃は、一説によりますと、当時の帝である孝明天皇(明治天皇の父)ですら、鎖国は日本古来の制であった、と、信じておられた、とのことなのですから、その衝撃は大きかったでしょう。

その衝撃の大きさが、ルネサンス期の人々にもあったことと思われます。

古代ギリシア・ローマ世界の発見による、現在世界――キリスト教に支配された生活――の相対化は、すなわち、キリスト教の権威の失墜につながります。

それを象徴するのが、この時期多く見られた、いわゆる異端者の処刑であり、宗教革命です。

個々それぞれの連絡はないものの、これらいわゆる異端者たちの登場は、その個々人の意思はどうあれ、従来のキリスト教会に対する反抗であり、その否定を意味しました。これに対する処刑は、従来の既得権を保持せんとする、教会側の抵抗、と、考えられるでしょう。

その闘争は、宗教革命による、いわゆるプロテスタント派の成立とともに、終結しました。

それまで唯一無二だったキリスト教世界が二分され、その絶対性が否定されたのです。

 

一方この時代は、「自然科学、経験的自然観察」が擡頭した時代でした。それは、「教会的権威の束縛からの哲学的精神の解放を根本的にたやすくしかつ積極的に支持した一現象」でした。

古代ギリシア・ローマの写実に満ちた彫刻群は、人間の肉体への好奇心をそそりだしました。それまで、神の似姿、神に造られた身体として、神聖なものとされていた肉体が、観察と研究の対象となったのです。この時期のものとしては、レオナルド・ダ・ヴィンチの人体解剖図などが有名ですが、レオナルドにとどまらず、この時期の他の作家は――絵画にしろ、彫刻にしろ――、神や天使ではなく、人間の造形を創造することに、力を尽くしました。ダ・ヴィンチはもとより、ミケランジェロ、ラファエル、その他、ルネサンス美術に携わった多くの芸術家たちは、それまで“神”――使徒や天使、聖母――として描かれていた人間を、人間として、現生に存在する、現生の人間として、描きました。

そのような考え方は、広く自然に対しても及びました。

おりしもこの頃、コペルニクスによる、地動説の主張(1510年代-40年代)、ケプラーの法則(1619年)、ガリレオ=ガリレイによる、観察と実験の重要性などが、提唱されました。

「それらは当時の考え方および世界観の全体に影響を与えずにいなかったし、とくに教会の権威信仰に大きな侵害を与え」ました。(上、p.262

「スコラ哲学は、自然と経験から顔をそむけ、足もとに横たわっているものに眼をとじて、知性の夢想のうちに日を送っていた」のです。(上、p.262

「今や自然はその名誉を回復し、その壮麗と崇高、その無限と充実とは再び直観の直接対象となった。自然の探究が哲学の根本対象の一つとなった。この時からはじめて自然科学は世界史的意義をもつようになり、この時からはじめてそれは持続する歴史をもつようになった。この新しい精神の運動の結果は測るにかたくない」(上、p.262)。

従来のスコラ哲学が、あまりに神学上の観念、形而上のものごとに捉われすぎた反動でしょうか、ルネサンス期には、自然にたいする探究が、盛んにおこなわれました。

それが哲学にも、大きな転機をもたらしました。それまでの、神学に従属した(有名な、「哲学は神学の婢」と云う言葉に象徴されるような)哲学とは違って、神学から離れた事物事象(自然)を対象として、その思索を開始したのです。

その端緒をなしたのが、ベーコンとデカルトです。

「近世哲学の創始者であるベーコンおよびデカルトが、前者はあらゆる偏見と先入見との除去を自然認識の条件とし、後者はまず一切を疑うことを要求することによって、懐疑から出発したのはそのため」です。(上、p.262

スコラ哲学の一番の弱点は、自然の理解にあります。精緻な観察と実験の結果に基づいて下される結論には、スコラ哲学の、キリスト教の教義に基づいて下されるそれの誤り、誤謬を反駁するのに、充分な説得力がありました。自然の探求が、スコラ哲学に対する反駁の端緒になったのには、当然のことと云えましょう。