喫煙区画
二階の一部分が喫煙区画になつてゐる。
奥行の三分の一程を硝子扉と羽目板で区切つた中に、洋卓と椅子が並んでゐる。天井には大きな換気扇が設置されてゐる。外側の壁には窓がある。時折この窓を開けて、換気の手伝ひをするものらしい。入つた時、窓の一つが、少し開いてゐた。
入つて直ぐ右側の壁に、延長コードが貼付けてある。コンセントの差込口が三つある。二つは此方側を向き、一つは下を向いてゐる。
傍らに、
「パソコン用電源です。ご自由にお使いください」
と云ふ貼紙がしてある。
目的は是である。
パソコン用の洋鞄からタブレツト型のパソコンを取出し、電源コードを接続する。マウスを接続する。電源を入れて、起動させる。
パソコンの準備をしているうちに、店員が珈琲を持って来た。受皿のほかに、盆まで添へてある。
「ごゆつくりだうぞ」
と、云つて、店員は引下る。
「ありがたう」
と、礼を述べて、盆を引寄せる。
烟草に火を点けて深々と一服し、原稿の執筆に取掛かる。
腹案は出来てゐる。構成も流れも変化も、脳中に把握してゐる。後は文章に表はすだけである。ところが、この文章に表はす作業が、如何にも難雑である。
脳中にあるものをいざ文字で表現しやうとすると、先ず適当な言葉が見当たらない。ああでもない、かうでもない、と、頭の中の語彙集を引繰り返して、漸う適当と思はれる文字を撰び出して文章に仕立て、さてそれを眼前に記してみると、今度はどうも脳中に描いてゐた印象と、眼前の文章から得られるそれとが、著しく乖離してゐる。文章が我が意を的確に表現してゐない。
さうして文章を組み直してみると、変に凝つた文章になつて、甚だ読みづらい。そこでまた、初手から考へ直すことになる。
幾度か放擲しかけたが、折角着手したものを反故にして仕舞ふのも残念であるし、業腹でもあるので、もう已めだ、と、思つた尻から、また考究し直すことになる。
その間頻りに烟草を吸ふ。吸ふ間隔が次第に短くなり、仕舞ひには吸ふと云ふより、吹かすだけになる。健康の上からも、家計の上からも、決して好ましいことではない。
さうかうするうちに、二時間ばかりも経つただらうか、仕切の扉がおずおずと開き、店員が遠慮勝ちに、顔を差し挿べてきた。
「あのう、すみません」
「なんですか」
丁度新しい烟草に火を点けたところだつた。
「場所をお移り願へないでしやうか」
「別に構ひませんが」
なんでですか、と、問ひかけた眼差しを即座に読みとつて、
「じつは、こちら、三時から貸し切りになつてをりまして」
如何にも恐縮したやうに云う。
「貸し切り?」
父兄会かなにかの会合でもあるのか、それとも、をばさまがたのサークルがお茶会でも催さうと云ふのか、いづれにせよ、聞いてゐないことである。
思ひもよらぬ言葉に、つひ語調が鋭くなつたのか、相手は益々恐縮したように身を縮めた。
「はい。三時から六時まで、高校生たちが使ふのです」
「高校生たちが使ふ?」
意外な言葉に面喰つた。
をばさまがたのお茶会なら話は分かるが、高校生がドーナツ屋の二階を貸し切るなどと云ふのは、聞いたこともない。倶楽部の反省会か、試験終了の打ち上げか。然し通常この時期は、倶楽部の試合も、発表会も、試験もない筈だ。
理由を聞いて驚天した。なんとこの店では、毎日曜日、午后三時から六時までの三時間、この区画を、高校生たちの勉強の場として、提供してゐるのだと云ふ。
原稿はあらかた出来上がつてゐた。温かい珈琲で一服したかつたが、珈琲は余所の店でも飲めるし、烟草だつて吸へる場所はある。
パソコンと参考書をまとめて、席を立つた。
入れ替はるやうに、高校生の男女が、ドヤドヤと入つてきた。男子は黒い詰襟の学生服、女子はセーラー服である。如何にもこの田舎町に相応しい、垢抜けない制服だつた。然し、グレーのブレザーの、臙脂色のネクタイの、と、都会の洒落た学生服を見慣れた目には、如何にも新鮮で、如何にも好もしく映つた。
懐かしい匂ひがした。田舎で過ごした高校時代の思ひ出が、胸一杯に甦つた。
彼等を見る目が細まり、頬が緩むのが分かつた。
重たげな鞄を抱へ、剝き出しにしたノオトや教科書を手にして、硝子の扉口を入つて来る。店で買つた飲食物は、トレーに載つてゐる。彼等は決まつて此方を見上げ、軽く頭を下げて入つて来る。
口には出さずとも、その眼差しが、
「だうも、すみません」
と、語つてゐる。
小さく、声に出してさう云ふ生徒もゐる。
愈々目尻が下がり、頬が緩む。
「だうゐたしまして」
と、目線で反す。声に出すこともある。
彼等は三々五々、席に着き、各自思ひ思ひに教科書やノオトを拡げ始めた。さうして、私語する訣でもなく、静粛に、勉強を始めた。
この席の一人一人が、その胸の内に、其々の夢や希望を抱いてゐるのだらう。さうして、その夢や希望を実現させるべく、懸命に、現在を闘つてゐるのだらう。
かつての自分がさうだつた。彼等のなかに、かつての自分がゐた。すつかり忘れてしまつてゐたあの頃の自分が、そこに、まぎれもなく、ゐた。
いまだ夢叶はぬ身として、「頑張れよ」とは、云へなかつた。
寧ろ、「ありがたう」と、云ひたかつた。
彼等は、草臥れた中年の心にも、かつては夢を諦めぬ若き情熱の火が燈つてゐたことを、思ひ起させて呉れた。
いづれの日にか、彼等が夢を叶へ、何処かで再会できたら、どんなにか嬉しいことだらう。
店を出る迄に略一箱の烟草を灰にしたにも拘らず、胸の中には、さわやかな空気が流れてゐた。