4. 村への旅立ち
翌朝、クリスと五人の仲間たちは、三人の村人たちとともに、村へ向かって出立します。
彼らの後を、遠く離れて、チコがつけてきます。
チコはクリスによって、自分の伎倆の未熟さを思い知らされました。それでも諦めずに、クリスたちの後をつけてきます。クリスはそのことを嬉しがっています。
自分の伎倆が未熟であることを思い知らされたのは、チコにとっては手痛い体験でした。しかしその体験は、チコが一人前のガンマンとなるためには、必要不可欠な体験です。
チコはまず、伎倆のともなわない自信、空虚なうぬぼれを、徹底して粉砕されなければなりません。
どんなに不愉快でも、どんなに認めたくなくても、たとえ思い知らされると云う形ででも、自分の現在の伎倆を、正しくは、自分の伎倆が未熟であることを、痛感しておかなくてはなりません。
自分の伎倆が未熟であることを痛感しておくことが、実際事にあたるに際しては大切です。それが、生き延びているガンマンと、西部の墓を一杯にしている「若くて負けず嫌いな連中」との差であり、ガンマンとして生き延びるための第一歩です。
諦めてしまえば、それまでです。
自分の伎倆を知らず、ただうぬぼれているだけでは、無駄に命を落とすだけです。
チコは自分の伎倆が未熟であることを認めてなお、クリスたちと仕事を共にすることを諦めません。チコが一人前のガンマンとなり得るかどうか、あとは、実際事にあたってみるしかありません。
チコが諦めないことに、クリスは喜びを感じます。
後をつけてくるチコを見て、ヴィンは、おかしいんじゃないのか、と、笑います。
彼らの引き受けた仕事は、よっぽどの向う見ずでなければ引き受けないようなものです。そんな危険な仕事でありながら、報酬は二十ドルで、弾代にもなりません。決して割に合う仕事でも、報われる仕事でもないのです。まして伎倆の未熟なチコなら、命を落とすのがオチです。
それでもチコは、彼らのあとをつけてきます。
ヴィンは砂埃の舞う谷間を抜けて後をつけてくるチコを見て、
「あそこじゃ汗と埃攻めだ、バカな奴だよ」と、気の毒がります。
「俺たちと違ってか」
「ああ」
ヴィンはクリスの問いにそう答えますが、実際、ヴィンにしても、同じようなものです。
弾代にもならない報酬で、割に合わない危険な仕事を引き受けて、汗や埃にまみれているのです。
それでもヴィンは、この仕事に参加することに決めたのです。
ヴィンのなかに、ヴィン自身は意識していないにしても、同じ仕事に参加しようとするもの同士としての感情が芽生えだしています。
夜になり、彼らが野宿しているときにも、ひとり離れて野宿しているチコを見て、「なにか食う物はもってるのかな」と、気にします。
ハリーも最初は、「あいつを見てたら首筋がつってくる」とか、「後をつけられるってのは気持ちのいいもんじゃねえな」などとボヤいていますが、野宿しているときは、ヴィンの言葉に応じて「これも何かの縁だ、食い物を分けてやるか」と云いだします。
ヴィンもハリーも、自分自身意識しているわけではありませんが、しだいに、チコを受け入れる気持ちになりつつあります。
クリスはハリーの言葉に、「いや、まだ腹は減ってないだろう」と応じます。
その言葉に、自分がチコを気にしている事実を気付かされて、ハリーはわざと悪態をつきます。
悪態をつくこと自体、チコのことを気にするまいとする形で、気にしているのですが、クリスはそれをも感じ取って、「放っておけよ、好きにさせろ」と云います。
オライリーも、「かわいいぼうやだぜ」と、調戯うように云います。
チコに後をつけられてハリーがボヤいているときにも、オライリーは、「そんなに気になるんだったら、並んで歩いたらどうだ」と、調戯っていました。
チコを気にかけているハリーの内心を云いあばいているのですが、それをハリー自身が自覚していないことも分かっているので、その口ぶりは、調戯うような調子になります。
オライリーは、まったくチコを気にしていません。仕事に加わるかどうかは、チコ自身が決めることであり、チコを加えるかどうかは、クリスが決めることです。
ハリーの言葉に、「まだ腹は減ってないだろう」と応じるクリスは、チコがどこまでついてくるのか、本当にこの仕事に参加する意志が固まっているのかどうかを見定めようとしています。そのうえで、チコを仲間に加えるかどうかを判断しようとしているのです。
翌朝、クリスたちは旅を続けます。
ハリーは後ろを気にして振り返りながら、チコがつけてこないのを確認すると、「変なもんだ、いねえと今度はさみしいな」と、云います。
今度はオライリーも調戯いません。
ハリーも、チコを気に入った自分を認めたようです。
どの職業でもそうですが、だれでも生まれたときから、伎倆の優れた職業人であるわけではありません。おおくの場合、はじめは自分の伎倆にうぬぼれ、自分に自信をもっていますが、実際事にあってみれば、その空虚なうぬぼれや根拠のない自信は打ち砕かれます。自分の未熟さを知り、認め、そのうえで、ひとつひとつ地道に事を処理していくことによって、実力を蓄え、一人前になっていくのです。
自分の伎倆の未熟さを思い知らされたにもかかわらず、あくまで仕事を共にしようとするチコの負けん気は、ハリーにも充分に理解できるのでしょう。
クリスを先頭に、一行は川を渡ります。
クリスの目の前に、何匹かの魚が吊るされた木の枝が現れます。クリスは馬を止め、しばらく不思議そうにその魚を見ていますが、やがて後ろにいるヴィンに微笑みかけます。
行く手を見ると、チコが川のほとりに胡座をかいて魚を焼いています。
クリスが見ていると、チコも気づいて振り返ります。チコは手にしていた魚を刺している串を、やあ、と云うように、軽く上げます。
どうでもチコは諦めそうもありません。ヴィンやハリーが心配するまでもなく、食べ物がなければ自分で魚を採って焼き、あくまでクリスたちの後をつけ続けます。
クリスは鞍から腕を離し、来いよ、と云うように、大きくその右腕を振って見せます。
チコは一瞬、焼いている魚に視線を向け、ふたたびクリスの方を見ると、彼に向かって人差指を付き出し、おまえが来いよ、と云うふうに、その指を自分の側に振って見せます。
酒場の場面で頂点に達したチコの葛藤は、その心情を、クリス「が」自分を認めない、というものから、クリス「に」自分を認めさせる、というものへと変化させています。チコが重きをおく対象が、クリスから自分自身へと移りはじめています。それがクリスの誘いについてゆかず、逆にクリスを自分のほうに招く仕草の意味です。
エルマー・バーンスタインの主題曲が鳴り渡り、クリスを先頭にして、一行が木々の生い茂った川を渡って行きます。その最後に、チコがいます。いまやチコは、クリスたちの後をつけているのではなく、その一行の中にいます。
クリスたちは村に到着しますが、村人たちは姿を見せません。
クリスをはじめとするガンマンたちも、三人の村人たちも、不思議そうに周囲を見回しながら馬を進めます。
クリスたちを連れてきた村人たちは、大声で人々の名を呼び、姿を見せて出迎えるように云いますが、誰一人応ずるものはいません。
チコがひとり、悪戯っ子のような笑みを浮かべています。
村はずれにいた長老が、屋外のテーブルについています。
長老は立ち上がってクリスたちに近づくと来訪の労をねぎらい、
「ま、大目に見てくだされ。みんな田舎ものじゃで、見るもの聞くもの、なんでも怖いンじゃよ。雨が降らんでも降りすぎても怖い、やれ夏が暑すぎる、冬が寒すぎる、豚に仔が産まれないと今年の収穫が落ちるだろう、また子沢山だと今度は親豚を心配をするだでのう」
と、とりなします。
クリスは、
「謝ることはないさ。花輪を期待してたわけじゃない」
と、険しい表情でこたえます。
村人たちが実際に知っているガンマンと云えば、カルヴェラたち山賊です。そのカルヴェラたちと戦うためにクリスたちを雇いましたが、実際にクリスたちを知らない村人たちには、クリスたちに対する信頼感情はありません。
村人たちにとっては、カルヴェラたちもクリスたちも、「山賊」と「雇われた者」と、その立場が違うだけで、同じ「銃を持つ者」であることに変わりはありません。
金に色目を使わないガンマンがいるとは思われず、ガンマンとして「雇われた者」の仕事は、四十人近くの同じ「銃を持つ者」である山賊を相手に村を守る戦いで、その報酬は弾代にもならない二十ドルです。
同じ「銃を持つ者」であるならば、「雇われた者」であるよりも「山賊」であるほうが、より多くの利益が得られ、しかもその利益を得るために費やす労力も冒す危険も、はるかに少なくてすみます。
「雇われた者」から「山賊」へと、その立場は容易に転化するのではないかと怖れ、心配します。
長老は、村人たちの怖れや心配が、クリスたちに対しての特別なものではなく、村人たちがどんなことに対しても抱く、村人たちにとっては普通の感情だと説明します。
クリスは、村人たちが自分たちガンマンに対して不信や怖れを抱く理由は分かりますし、そのこと自体で気を悪くしたりはしません。
ガンマンは、その銃の伎倆を金で買われ、その伎倆で務めを果たす存在です。人間として尊敬されようが軽蔑されようが、それ自体としては無関係です。
ですが、理由はともかく、村人たちがクリスたちに不信や怖れを抱いたままでは、カルヴェラたちと戦うための体制をつくっていくことはできません。どうやって村人たちの不信や怖れを払拭するか、そのきっかけを得ることすら、難しく思われます。
長老に対するクリスの返事は皮肉になります。
長老は、翌日に催される年一回の村の祭りに、クリスたちを歓迎する意味をもたせることで、村人たちとクリスたちとの交流のきっかけにしようと考えています。
それより早く、別のきっかけが訪れます。
いきなり教会の鐘が、激しく鳴り出したのです。年に二回しか牧師が来ない、さびれた教会の鐘がいきなり鳴り出すのは、ただ事ではありません。時ならぬ鐘の音に、驚いた村人たちが、慌てて姿を現します。オライリーやハリー、リーたちも驚いています。
出て来た村人たちは、広場に集まります。
鐘を鳴らしていたのは、チコでした。
チコは村へやって来たとき、村人たちの姿が見えない理由を察しました。チコはいつの間にかクリスたちと離れて教会へ入り、その鐘を激しく鳴らして村人たちを驚かせ、村人たちが姿を現すように目論んだのです。
チコは出て来た村人たちに向かって皮肉たっぷりに挨拶した後、怒りをぶつけるように喋りだします。
チコは村人たちの態度を非難し、彼らが抱いている不信や怖れが誤解であることを説きます。
クリスたちは、安い報酬で命懸けの仕事を引き受け、はるばるメキシコの寒村までやって来ました。彼らには、自分たちを雇ったことに対する、村人たちへの信頼があります。その信頼が、「雇われる」と云う形で現れています。
村人たちの態度は、自分たちが「雇った者」を信頼していないことを、あるいは信頼していない者を「雇った」ことを意味します。「雇われた者」の信頼を裏切る、不誠実な態度です。
チコは村人たちが不信や怖れを抱いている理由を見抜いて指摘し、自分たちがカルヴェラたちのような山賊に見えるか、と、問います。カルヴェラたち山賊と同じような人間なら、命懸けの仕事を安い報酬で引き受けて、わざわざメキシコの寒村まで来たりはしないと云う反語です。
村人たちは、自分たちが抱いている不信や怖れを見抜かれていることを悟るとともに、チコの怒りが自分たちに対する信頼の裏返しであることを感じ取って、自分たちの態度を反省し、悄然とうなだれます。
カルヴェラはソテロを「友だち」と呼び、なれなれしく接しながら、村人たちの物資を略奪し、その生活や命すらも脅かしています。
チコの率直な怒りは、村人たちに反省を促し、その心情を素直に受容れさせます。
村人たちの不信や怖れに怒りをおぼえ、それを率直に表すこと自体が、村人たちを信頼していることの証です。
クリスたちはその様子を興味深げに見守っています。
チコは最後に、約束どおり村を守ることを断言し、その代わり、「守ってもらう値打ちのあるところ」を見せるよう求めます。
守られるに価するところを見せることは、損なわれた信頼を回復し、対等の立場で、守り守られる関係になることを意味します。
チコはひとしきり云って、集まった村人たちを解散させます。チコが本気で怒っていたわけではないことが分かります。
最初は眉をしかめてその云うことを聞いていた長老も、最後には、顎の髭をなでながら、この若僧、なかなかやりおるわい、と云った表情になります。
ヴィンは馬上で帽子を脱ぎます。さりげない仕草ですが、まさに、脱帽、と云ったところでしょう。
クリスをはじめ他のガンマンたちの誰もが──おそらくは長老もが──、困難を感じていた、村人たちの、クリスたちに対する不信や怖れを払拭することを、少なくとも、そのきっかけをつくることを、チコはやったのです。
腕組みをしてチコの言動の一部始終を見守っていたクリスは、確認するようにヴィンや長老を顧みながら、「これで七人だ」と、満足げに云います。チコを、仕事を共にする仲間として、認めたのです。