10. ガンマンの生き方
クリスたちガンマンは、別室に行きます。
村人たちのあいだに、厭戦気分が生じ始めていることを、彼らも感じ取っています。
そこへチコが興奮して入ってきます。チコはクリスに向かい、反撃してきた山賊を倒したときの腕前を称賛します。
クリスは無反応です。クリスには、チコの相手をしていられる余裕はありません。村人たちのあいだに拡がりつつある厭戦気分を払拭し、彼らの闘争心を再燃させなければなりません。いったん戦いを始めたからには、厭になったから途中で止めると云うわけにはいきません。どちらかが倒れるまで、戦わなければならないのです。村人たちは、倒されるのを怖れて戦いを忌避しつつありますが、それはカルヴェラたちに降伏し、そのなすことをすべて受け入れ、服従することを意味します。それは、自ら倒されることであり、倒されるのを早めることでしかありません。
戦いを忌避する心情は、村人たちが雇ったガンマンたちを、もはや無用の存在へと転化させ、ガンマンたちをも忌避する心情へと拡大します。クリスたちガンマンは、彼らを雇うためにあるもの全部を出し合った村人たちからも、無用の存在と見做され、忌避されようとしています。
チコは村人たちとのやり取りの場にいなかったせいもあって、クリスの心情を察することはできません。一人、はしゃいでいます。
ブリットが山賊のかぶっていたソンブレロを投げてやり、チコをクリスのほうから引き離そうとします。クリスの心情を察しているブリットやヴィンは、チコをクリスにまといつかせておくわけにはいきません。かといって、面と向かってクリスの心情を説明するわけにもいかず、叱り付けて黙らせるわけにもいきません。ソンブレロでチコの注意を逸らします。
チコはソンブレロが気に入ったようです。ソンブレロそのものがと云うよりも、それを、ガンマンとして憧れているブリットに貰ったこと、同じくその仲間であるヴィンに似合うと云われたことが──ヴィンにしてみれば、チコの気を逸らすためのおざなりの対応でしかなかったでしょうが──、嬉しいのでしょう。チコはブリットやヴィンの対応を、彼らが自分を仲間として認めていることの表れと感じ、喜びとなります。
チコは「いまに俺たちと帽子の歌ができる」と云います。この村のような山奥では、なにかあるとすぐに歌を作り、それを何年も歌うんだ、と云うのです。
他の共同体との交流に乏しい山奥の村では、千年一日のような単調な生活が繰り返されます。そんな共同体に大きな出来事が起こると、それに携わった人物などを歌にして、その記憶を伝承していきます。歌は、老若男女や学問の有無にかかわらず、みなに親しまれ、みなが口ずさむことができます。歌うための特別な訓練や道具も要りませんし、伝承していくための保存保管の必要もありません。人々は日々の暮らしの中で、その歌を口ずさみます。歌は人々の暮らしに密着し、孫子へと伝えられていきます。民謡や労働歌は、元々は、そのようなものとして発生したものと思われます。人々はそのような歌を通して、大きな出来事に携わった人々の功績を称え、自分たちの誇りとし、あるいは自分たちの生き方の手本とします。
「いまに俺たちと帽子の歌ができる」と云うチコに対して、クリスは、「それはどうかな。銃の扱いを教えただけだ。大したことじゃない」と云います。
自分たちは歌にしてもらうほど価値のあることをしてはいない、というわけです。
ヴィンもブリットも、無言でクリスの言葉に同意しています。
クリスは、無用の存在となりつつある自分を意識し、銃ひとつで生きてきた自分自身の生き方を否定し、価値のないものと見做すようになってきています。他のガンマンたちも、そのクリスの心情に共感しています。
チコはクリスに食ってかかります。銃ひとつで生きてきたくせに、その銃の使い方を教えることが大したことではないと云うのは、チコには納得できません。それは、チコにとっては、クリスたち自身の生き方を否定し、無価値なものと見做していることを意味するだけではありません。クリスたちにあこがれを抱いているチコ自身の生き方をも否定し、無価値なものと見做していることをも意味しているのです。
ヴィンが、銃ひとつで生きることがどう云うことかを、チコに説明します。
ヴィンをはじめとするガンマンたちの言葉を通して、銃ひとつで生きていくことの意味が、彼らがそれをどう捉えているかがしめされます。
まずはバーテンと博打屋に、「二百人くらいの」親しい知り合いができます。
酒場や博打場は、ガンマンたちが仕事を得るための、あるいはその腕前を見せるための、格好の場所です。そこでガンマンとしての伎倆を認められれば、その伎倆次第で、いくらでも派手で豪勢な生活が、「五百ドルの部屋を借りて、メシ代に千ドルかける」ような生活ができます。
しかしその生活には、「家も、女房も、子どもも……なし」です。「見通しはゼロ」で、「骨を埋める国は、なし。頼ってくれる人も、なし。敬う人も恩師も、なし」です。「侮辱に耐えることも、なし。敵も……なし」です。
それは、社会での人間関係から孤立した生き方です。
生活は不安定で、先行きの保証もありません。信頼に基づく人間関係とも無縁で、死んでも悲しんでくれる者も悼んでくれる者もなく、道端に転がったままで放っておかれることすらあります。
社会が銃の伎倆を必要としたときだけ、かろうじて社会との関わりが生じます。その関わりも一時のもので、必要を充たせば、再び社会の活動から離れた位置に立たされます。
皮肉な事実ですが、彼らの「敵」だけが、彼らを社会につなぎとめ、「敵」の存在が、彼らに、彼らの存在する意味を与えます。
リーが、「敵も……なし」と云ったとき、クリスが、「敵も?」と、訊き返したのには、そういう意味があります。クリスにしてみれば、敵がいなければ、自分たちが存在している意味がありません。リーが云うのは、伎倆の優れたガンマンには、敵として意識する人間はいない、と云う意味です。
リーが、「生きてる者は」と答えたのには、そう云う意味があります。リーとクリスは、「敵」と云う同じ言葉を、異なる意味で使っています。
彼らの会話は、チコに銃ひとつで生きていくことの意味を教えると同時に、自分たちの生きてきた過程を再確認する意味も持っています。
チコは、クリスたちガンマンたちの話を聞いて、「すげえ。男と生れたからには、こうでなくちゃ」と、感激します。
チコは、家庭の幸せや将来の生活を保障されるような堅実で安定した人生よりも、だれにも頼らず頼られず、自分の銃ひとつで派手で豪勢な生活を獲得できる人生のほうに、男の生き方としての魅力を感じます。
クリスも、若い頃はそう思いました。現在では違います。
若い頃には、だれにも頼らず頼られず、自分の伎倆だけで豪勢な生活を獲得することが、なにものにも縛られない自由な生き方と思われ、そのような生き方に魅力を感じ、あこがれをいだきます。
しかしそれは、社会の実情を知らない、若さゆえの錯覚です。
クリスたちはガンマンとしての生活を経てくるうちに、若い頃に思った生き方が、実は社会から切り離され、孤立していく生き方であったと感じるようになっています。自分で選んだと思っていた自由な生き方は、じつは、社会から切り離されて孤立していく生き方であり、それは自分の意志とはかかわりなく、時代の流れによって、社会の変化によって、いやおうなくそうならざるをえない生き方であることが、クリスたちにもおぼろげに感じられるようになっています。
そんな生き方の結果としてクリスたちが獲得したものは、優れた銃の伎倆だけです。その銃の伎倆も、もはや必要とされることもなくなっています。クリスたちは使い道のない優れた銃の伎倆を有したまま、家族もなく、生活の保証もなく、社会での人間関係を失い、社会から孤立したまま、老い朽ちて行かなければなりません。
ヴィンも、そして他のガンマンたちも、同様の感じを抱いています。
クリスたちの心情を変化させた根本は、合衆国における産業の発展です。
産業の発展は、町の整備を推し進め、自衛力を組織して強化せしめ、クリスたちのような雇われガンマンからその職を奪い、その存在を無用のものとします。仕事にあぶれたガンマンたちは、産業の発展が未熟な国境の町などに、職を得る機会を、自分たちが必要とされる機会を得るために、やってきます。クリスたちはそこで、メキシコの寒村を山賊たちから守ると云う仕事を得ました。村にあるもの全部を出し合って雇われたクリスたちは、しかし、それほどまでにして自分たちを必要としていた村人たちからさえも、忌避されるようになりつつあります。
その孤立が、クリスたちに、自分たちの生き方を否定し、価値のないものと見做すように、その心情を変化させています。その変化が、意識の表面には、若い頃とは考えが変わった、と云う形で表れてきています。
クリスたちの思いは、ガンマンとしての伎倆も経験も未熟な、若いチコには分かろうはずもありません。
クリスは、ヴィンたちも自分と同じ思いを抱いていることを知り、戦うべき敵が現に存在していることを再確認して、気持ちを切り替えます。
クリスは、山賊たちから奪ったライフルを、銃を使える村人たちに渡すよう命じます。
銃を持って出ていこうとするチコを、ヴィンとクリスが調戯います。
銃を持っていくついでに、カルヴェラに会って、どうするつもりか訊いて来い、そしたら歌を作ってやるぞ、と云うのです。
クリスたちにとってまず肝心なことは、カルヴェラの出方です。カルヴェラたちの間に潜入してその情報を得られればいいのですが、危険の大きい、成功の見込みのない仕事です。チコが望むような派手な撃ち合いを見せる機会もありません。カルヴェラたちに見つかれば、即座に撃ち殺されてしまうでしょう。
ヴィンもクリスも、いくらチコが無謀でも、そんな危険なことはしないだろう、と思っています。カルヴェラの出方を知りたいけれども、それを知るためのいい方法を思いつかないために、冗談めかしてチコを調戯っているのです。
二人の冗談は、チコの考えているような派手な撃ち合いで敵を倒すことよりも、敵中に潜入して必要な情報を得てくる仕事のほうが、より大切で、より歌にして語り継がれるに相応しい大仕事であることを示しています。
チコは、自分を調戯ったクリスたちの鼻を明かし、なんとしても一人前のガンマンとして認めさせようと、単身、カルヴェラたちの陣中にやってきます。
カルヴェラの手下たちが、被害の状況を確認しています。カルヴェラは、残った手勢で、死んだ仲間たちの敵を討つ決意を述べます。
カルヴェラにしてみれば、ここで逃げ出してしまうわけにはいきません。このまま諦めて他所の村に行っても、農民である村の連中に追い払われたことになり、士気にかかわるだけでなく、このことが噂として広まれば、他所の村の連中にも侮られ、略奪に手こずる怖れがあります。
カルヴェラたちは、村への襲撃を諦めようとはしていません。