『蜘蛛巣城』(1957年)

『蜘蛛巣城』と云う映画がある。
シェークスピアの『マクベス』を、日本の戦国時代に置き換えてつくられた、黒澤明監督第16作目の作品である。
スピルバーグ監督が初めて観た黒澤映画であり、スピルバーグはこの作品を黒澤監督のベスト・ワンに挙げている。
この映画が公開された1957年(昭和32年)、黒澤監督は渡英された。
同年十月、英国の首府ロンドンで、第一回ロンドン映画祭を兼ねた国立映画劇場の開場式が催されることとなり、その式典に際して、「映画芸術に最も貢献した監督のひとり」として、招待されたのである。
同様に招待されたのは、アメリカのジョン・フォード(『駅馬車』、『荒野の決闘』)、イタリアのヴィットリオ・デ・シーカ(『自転車泥棒』、『靴みがき』)、フランスのルネ・クレール(『巴里の屋根の下』、『巴里祭』)の三人、いずれも錚々たる面々である。
「映画芸術に最も貢献した監督」と云うよりは、「映画史をつくってきた監督」と云うに相応しい顔触れである。
黒澤監督は、式典などの晴れがましい席にお出になることは好まれなかったが、このときばかりは、
「とにかくジョン・フォード、ルネ・クレール、デ・シーカじゃ、君、行けないなんていえないよ」
と、淀川さんとの対談でおっしゃっておられる。
その映画祭で、この『蜘蛛巣城』上映された。
ラスト、三船敏郎さん演じる鷲津武時(マクベス)が、部下に裏切られて、無数の矢を放たれる。
その矢の一本が三船さんの首を貫通する。
そのとき鋭い嬌声があがり、失神した女性がいた、と、云う。
さもありなん。
その迫力は、なんど観ても凄まじい。
なにしろ無数の矢弾が、散弾銃さながら、雨霰と飛んで来るのである。
その矢の柄が重なって、向こう側が見えないくらいである。
みな本物である。某大弓道部の協力を得て、とにかく、三船さんの周囲に、本物の矢を撃ち込ませたそうである。
この迫力は、とてもCGではだせない。
「なにしろ、こっちへ逃げようとしたら、こっちへ(と、両手で矢が飛んで来るさまを示して)バラバラバラ、でしょう。
そんでもって、こっちへ逃げようとしたら、こっちへ、バラバラバラ。
あんときゃあ、ほんとうに絶叫しながら、逃げまわってたんだ」
と、三船さんは後年のインタヴューで語っておられる。
黒澤組のスタッフは云う。
「あのシーンは、黒澤さん(の、三船さんへの信頼)あってこそ、できたシーンだし、三船ちゃん(の、黒澤さんへの信頼)あってこそ、できたシーンだね」
そのさすがの三船さんも、撮影前夜は緊張と恐怖のあまり、一睡もできなかった、と、云う。
そして撮影が終わった後は、鎧兜のお姿のまま痛飲し、泥酔した揚句、宅にあった猟銃を持ち出して愛車に乗り込み、黒澤さんのお宅をまわりながら、
「お~い、黒澤のバカヤロー、出てこ~い」
と、騒ぎながら、一晩中、その銃を射ちまくっていたそうである。
“世界のミフネ”ならではの、スケールの大きな事件だが、三船さんも三船さんなら、黒澤さんも黒澤さん、“世界のクロサワ”である。
その翌朝、すっかり酔いも醒め、恐縮しきってお詫びに訪れた三船さんに、
「なんだ、昨夜、やたらに騒がしいと思ったら、キミだったのか」
と、ニッコリ笑われた、と云うことである。

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