『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』(1984年)

 はい、みなさん、こんばんは。
 今日は、『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』、この映画のお話、しましょうね。
 『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』、これは、一九八四年に公開された、アニメ映画、アニメーション映画ですね。
 は、はあ、アニメ、なんだ、子供向けの映画か。
 あら、あなた、ずいぶん古いこと、おっしゃるのね。まあ、いまどきそんなこと云う人、珍しいね。骨董品、古代の遺跡、世界遺産、天然記念物、絶滅危惧種、ね。
 あら、あなた、怒ったの? ごめんなさい、でもこれ、ほんとうのことですよ。
 いまやアニメは、日本を代表する、立派な、立派な文化、日本が世界に誇る、立派な、立派な、文化ですよ。
 いえ、いまや、じゃないね。むかしから、アニメは、アニメーションは、日本の、素晴しい、素晴らしい文化だったのね。ただだれも、そのことに、気づかなかったのね。残念ね。貧しいね。アニメの、アニメーションの、素晴しさ、立派さを分からない心性、貧しいね。悲しいね。
 で、この『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』、これは、テレビで放映された作品の映画化なのね。テレビで毎週放映して、評判よかったんで、よっしゃ、映画にしよう、云うて、映画になったのね。あのころはそんなアニメ映画、たくさん、あったのね。
 『ルパン三世』もそうでした、『うる星やつら』もそうでした。『宇宙戦艦ヤマト』、『銀河鉄道999』も、そうでした。

 あの頃はまだ、映画だけで、映画の企画だけで、アニメーションつくろうなんて、そんな時代じゃなかったんですね。
 でもそうやってつくられた映画は、テレビとは別の、それ自身で完結した、それ自身で立派な、みごとな、映画になってるのね。そのへんに、映画をつくった人たちの、心意気が見えますね。魂が感じられますね。
 この映画もそう。この映画も、それ自身だけで独立した、テレビ観てなくても解かる、テレビ観てなくても面白い、それ自身だけで完結した、素晴らしい映画になってるんですね。


 この映画は、宇宙が舞台で、宇宙を舞台に、戦争してるの。
 地球人たちは、地球に住めなくなって、宇宙に出て、宇宙を彷徨って、でもいつか、自分たちの故郷、地球に還ろうとして、宇宙を彷徨ってるのね。
 そんな地球人たちが乗ってる、大きな、大きな宇宙船が、“マクロス”、云うのね。この映画の、タイトル・ロールね。
 そんな地球の人たちは、宇宙を彷徨いながら、戦争してるの。その相手が、とっても、とっても大きな人種。その大きな人種が、二種類、いるの。
 一方は、ゼントラーディって云って、これは男ばかり、男の人ばっかりの宇宙人なの。
 で、もう一方は、メルトランディって云って、こっちは女ばかり、女の人ばっかりなの。
 地球人は、この二つの種族と戦ってるんだけれども、この二つの種族──ゼントラーディとメルトランディも、おたがいに戦ってるのね。まぁ、複雑ね、ややこしいね。
 で、地球人は、戦闘機に乗って、闘うのね。これが、戦闘機、飛行機なんだけれども、ロボットにもなるの。その頃流行った言葉で云えば、“モビル・スーツ”になるのね。
 余談だけれども、「ロボット」云うのは、チェコの、チェコスロヴァキアの劇作家、カレル・チャペック云う人が、造った言葉なの。
 チャペックは、チェコ語の「ラボル」云う言葉をもじって、「ロボット」云う言葉を造ったのね。
 「ラボル」云うのは、「労働」云う意味。人間に替って、人間の替りに、しんどい労働する人造人間、それが、「ロボット」なのね。
 だから、鉄腕アトムや、ドラえもんは、ロボット、ね。
 でも、マジンガーZや、コンバトラーVなんかは、ロボットじゃないんですね。
 それで、人間が乗り込んで、人間が操る、人間みたいな恰好をした機械のことを、“モビル・スーツ”云うようになったんですね。
 この“モビル・スーツ”云う言葉は、『機動戦士ガンダム』で、初めて使われたんですね。
 それまでは、人間が乗り込んで、人間が操る、人間みたいな恰好をした機械のことも、“ロボット”云うてたのが、この『機動戦士ガンダム』以来、“モビル・スーツ”云うように、なったんですね。
 それで、この映画で、この『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』では、“バルキリー”云う、戦闘機、飛行機なんだけれども、これが、人型の、“モビル・スーツ”にもなるのね。
 その“モビル・スーツ”を操って、地球人は、ゼントラーディや、メルトランディーと、闘うのね。


 その闘い、その戦闘のときに、地球人のひとりが、ゼントラーディに捕まって、捕虜にされて、地球人のこと、訊かれるんですね。尋問、されるんですね。
 そのとき、地球人が、人間が産まれることを説明するんですけど、それが、ゼントラーディの人たちには、解からないのね。
「産まれるとは、生産されることか?」
なんて、云うんですね。
 まぁ、悲しい、なんて、悲しいことなんでしょう。
 人間が産まれる、新しい生命が芽生える、愛し合って、愛し合った人たちの間に、新しい生命、新しい生命が誕生する、素晴らしい、とっても素晴らしいことなのに、それを、「生産される」なんて、まるで、機械を製造するみたいに……。
 でも、それが、ゼントラーディの人たちの考えなんですね。闘うためだけに存在する種族、闘うことだけが存在意義である種族、そんな種族には、「産まれる」と云う思いなんか、ないんですね。「生産される」と云う考えしか、ないんですね。悲しいですね。とっても、悲しいことですね。
 ゼントラーディの人たちは、地球人が持ってた、オルゴール、スウィッチを押すと、音楽が流れ出す人形を、とっても、恐がるんですね。
 戦闘のことしか知らない、戦争することしか知らない、ゼントラーディの人たちは、なんでこんな機械があるのか、解からないんですね。
 なんでそんな機械が、オルゴールなんてものがあるのか、なんでそんなものが必要なのか、理解できないんですね。
 でも、その機械から流れてくる音楽、そのメロディを聴くと、自分たちの戦闘意欲、戦争しよう、敵をぶっ殺そう、そんな気もちが萎えてくる、戦闘意欲が、相手をぶっ殺そう、そんな気もちが消えていく、それは、理解するんですね。
 それで、ゼントラーディの人たちは、これは、兵器だ、音波兵器だ、俺たちの戦意を殺ぐために造られた、地球人独特の兵器に違いない、なんて、云うんですね。


 この映画には、たくさんの、たくさんの、ほんとうに、ほんとうに、素晴らしい人たち、とっても、とっても、ステキな人たちが登場するんですけれども、主人公は、一条輝と云って、バルキリーのパイロットなんだけれども、まだまだ青二才、未熟なのね。
 その一条輝が憧れているのが、アイドル歌手のリン・ミンメイ。
 この一条輝は、ふとしたことがきっかけで、このリン・ミンメイと仲良しになって、ふたりでデート、するのね。それが、いかにも若者風の、いかにも、愉しげなデートなの。
 ショッピングして、ゲーム・センター行って、夕暮に公園行って、ふたりで愉しい時を過ごすのね。いかにも、ミーちゃん、ハーちゃんした、いかにも、愉しげなデートなのね。
 一方、輝には、女の人の上官がいるのね。早瀬未沙って云って、この人が、美人なんだけれども、とってもコワイ、とっても厳しい人なの。
 それで、よく輝とも、ケンカになるの。
「なんだよ、あの女」
「なによ、あのひよっこ」
なんて、ケンカになるのね。
 そのふたりが、とある戦闘で敵にやられて、味方のところに帰れなくなって、漂流することになるのね。
 そのふたりが漂流した先が、これがまぁ、なんとも荒れ果てた星、宇宙から見捨てられたような星、ゴースト・タウンのような星、そんな星に、流れ着くのね。
 それで、ふたりで、この星は、なんて星なんだろう、こんな、見捨てられたような星、この星は、どんな星なんだろう、そう思って、この星のことを、探っていくのね。


 この対比、この二人の女の子と、男の子、輝との、デート、道行、その対比が、いかにも、巧いね。上手だね。達者だね。
 ひとりは、みんなのアイドル、いかにも、ミーちゃん、ハーちゃんした、キャピキャピした女の子。
 もうひとりは、軍人、いかにも、シッカリした、カタブツの、上官の、女の子、女の子、と、云うよりも、女の人、オトナの女性。
 輝は、この、まだまだ未熟な男の子は、憧れていたアイドルの女の子とデートできて、コワイ、コワイ、キビシイ、上官の女の人と彷徨って、まぁ、形の違った二人の女性と、形の違った、時間を過ごすんですね。
 このへんの演出が、巧いね、上手だね、達者だね。


 輝は、この、未熟な、いかにも、坊ちゃん、坊ちゃんした、男の子は、コワイ、コワイ、いつも、喧嘩ばっかりしていた、年上の、女の、上官と、流れ着いた星を、この星は、いったい、どんな星なんだろう、そう思って、二人で一緒に、この星を探検しているうちに、じつは、この星こそが、マクロスの住民たちが、マクロスのみんなが、恋焦がれていた、いつか帰るんだ、って、思っていた、地球だった、って、解かるのね。
 そこで、いろんなことが解かってくるの。
 ゼントラーディも、メルトランディも、じつは、異星人、宇宙人なんかじゃなくて、自分たちと同じ、人間だ、って、解かるのね。
 昔々、人間が戦争してた頃、相手よりも強い兵士を造ろう、強い兵士を製造しよう、云うんで、遺伝子を操作して、造り上げたのが、男はゼントラーディ、女はメルトランディ、なんですね。
 まぁこの二種族とも、人間が、戦争のために、戦争に勝つために、自分たちを操作して、造りだしたんですね。非道いね。非道いことするね。
 そんなに、競争することって、そんなに、勝つことって、大事なことなんでしょうかね。


 その競争が、戦争が、戦闘が、だんだん、だんだん、激しくなって、しだいに、しだいに、激烈になって、地球人たちも、必死に戦うんだけども、だんだん、だんだん、追いつめられて、もうダメ、もういかん、もう負ける、そうなったときに、相手は音楽を聴くと、戦闘能力が鈍る、音楽聴くと、戦意が落ちる、そのことが解かって、マクロスの軍人たちは、音楽を流そう、音楽を流して、相手がひるんだ隙に、総攻撃をかけよう、そう思うのね。
 それで、ミンメイに、歌ってくれ、云うて、頼むのね。
 ミンメイは、輝のことを好きになって、好きになって、好きになって、もうたまらんくらい好きになって、輝が戦争に行くのを嫌がるのね。
 輝が戦争に行って、万一敵に殺されたら……そんなことを考えるだけでも、ゾッとして、恐ろしくなって、怖くなって、悲しくなって、涙が出てきて、もうどうにも、やりきれなくなるのね。
 それで、
「みんないなくなればいい。みんないなくなったら、戦争もしなくてすむ。殺し合いなんかしなくてすむ。輝と私だけいればいい」
なんて、云うのね。
 まぁそれほど、この娘は、ミンメイは、輝のことを、好きになったのね。惚れ込んじゃったのね。
 そのミンメイを、輝は叱るのね。
「だれも殺し合いなんてしたくない。だれも死にたくないし、死なせたくないんだ。
 ぼくはそのために、精一杯、自分にできることをするんだ」
 その言葉を聞いて、ミンメイも決心するのね。
 自分は歌う。歌うことが、自分の役目なのだから。自分が歌うことで、みんなに勇気を与えられる。みんなの力になれる。自分が歌うことで、みんなが幸せになれる。
 だったら、自分は歌う。自分のためだけじゃなくて、輝のためだけじゃなくて、みんなのために、歌うことが、自分の使命なんだ。
 そう思って、マクロスの、巨大戦艦の先頭に立って、歌うのね。
 その歌が、『愛 おぼえていますか』ですね。
 これがとっても素晴らしい歌、とってもステキな歌なんですね。


 みなさん、おぼえてますか?
 はじめて、好きな女の子と、あるいは、男の子と、手をつないで学校から帰ったときのこと……。

 学校の教室で、好きな男の子と、あるいは、女の子と、おたがいに目が合って、恥かしくてなって、思わず目をそむけてしまったときのこと……。

 ドキドキしながら、「好きです」と云った、あのときのこと……。
 それが愛の始まり、それが、人間が、人間を慈しむ、大事に思う、その、始まりなんですね。


 ミンメイが必死になってこの歌を歌って、みんなが突撃して行って、それでも戦況が地球人に不利になったとき、あぁ、もうダメだ、ゼントラーディには勝てないんだ、そう思ったとき、その、ゼントラーディの一部隊が、地球人の味方に付くんですね。
 自分たちの同胞を、仲間を、味方を、裏切って、地球人たちの側に付くのね。
 地球人の総司令官が、感謝しつつも戸惑って、驚いて、サンキュー、サンキュー、ありがとう、なんて云っても、驚いて、当惑して、なんで味方してくれるんですか、云うのね。
 もっともね。負けそうになってる地球人に味方しても、自分たちの仲間裏切っても、なんのメリットもないわね。
 でもそのとき、ゼントラーディの副官、参謀が、云うんですね。
「この偉大な、“文化”を、失うわけには参りません」
 素晴しい言葉ですね。歴史に残る、素晴らしい言葉ですね。
 遥かな昔、遠い昔、紀貫之は、『古今和歌集』の仮名序に、こう記しました。
「生きとし生きるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり」
 まさに、歌とはこれ、文化とはこれ、ですね。
 “文化”なんて、なんのことか分らない、オルゴール聴いても、音楽聴いても、音波兵器としか思わない、思えない、そんなゼントラーディの人たちをも、ミンメイの歌は、感動させて、心動かして、自分たちには分らないけれども、このとっても素敵な、“文化”と云うものを、守らせようとするのね。
 いまだに戦争に明け暮れて、戦闘能力を強化しようとして、戦争のことばっかり考えている国民なんて、ほんとうに、ほんとうに、恥かしいね。まるで、ケダモノね。おぞましいね。


 この『愛 おぼえていますか』云う歌、これは、じつは、早瀬未沙が、輝と一緒に地球を放浪しているときに見つけたものなんですね。
 それはどんな歌なんだい、と、聞かれた未沙は、
「むかし流行った、なんの変哲もない、ラブソングよ」
 云うんですね。
 これが、いいんですね。
 文化、文明、芸術、それはなにも、バッハやモーツアルト、ベートーヴェン、ピカソやゴッホや、モネやマネ、シェークスピアやバルザック、ゲーテやトルストイ、そんなんじゃ、ないんですね。それも立派な、文化、文明、芸術なんだけれども、それだけじゃ、ないんですね。
 ヒットして、一年で消えてしまう、そんな音楽にこそ、そのときに生きた、そのときに笑い、悲しみ、はしゃぎ、ケンカし、落ち込み、殴り合い、仲直りした、友だちと一緒に自転車こいで家に帰った、学校サボって映画観に行った、空地で野球した、下校中の喫茶店で、好きな男の子や、女の子たちの話した、道路で鬼ごっこした、そうした、そのときに、精一杯生きた人たち、その人たちの想いが、つまってるんですね。
 それこそが、“文化”なんだ、それこそが、人間が、人間である、いちばん大事なことなんだ。

 そのことを、この映画は、教えてくれるんですね。
 この素晴らしい映画、アニメと云う、とっても素晴らしい映画、この『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』、ぜひ、ご覧なさいね。
 

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