『王様と私』(1956年)
はい、みなさん、こんばんは。
今日は、『王様と私』、この映画のお話、しましょうね。
『王様と私』、これは、もともとは、ブロードウェイのミュージカルとして、発表された作品ですね。
ブロードウェイのミュージカルとして発表されて、ブロードウェイの舞台で上演されて、それで、それがあんまりにも素晴らしかったので、これを映画にしよう、映画にしよう、云うて、映画化されたのが、この、『王様と私』ですね。
これが映画になる前、ブロードウェイの舞台で上演されてたとき、王様の役を演じていたのが、ユル・ブリンナーですね。
このユル・ブリンナーが、とっても素晴らしかったので、映画にするときでも、あの王様はユル・ブリンナーじゃなくちゃいかん、ユル・ブリンナーこそ、あの王様だ、なんて云って、映画でも、この王様を、ユル・ブリンナーが、演じることに、なったのね。
それで、この王様になったユル・ブリンナーが、その演技が、とっても素晴らしかったので、ユル・ブリンナーは、この映画で、1956年(昭和31年)のアカデミー主演男優賞を獲得しました。
まぁ、ほんとうに、ユル・ブリンナーの王様か、王様のユル・ブリンナーか、そんなふうになったのね。
そんなわけで、ユル・ブリンナー、この王様役で、いっぺんに有名になったんだけど、さぁ、困ったことができた。
それは、ユル・ブリンナーは、この王様役を演るのに、東洋の、いかにも、東洋風の、そんな、エキゾチックな雰囲気をだそうとして、頭を、ツルツルに剃ったのね。
頭をツルツルに剃って、スキン・ヘッドにして、いかにも、東洋風な、いかにも、王様の雰囲気をだそうとしたのね。
それが受けて、大いに受けて、みんなが拍手して、拍手喝采して、そのツルツル頭、スキン・ヘッドが、とうとう、ユル・ブリンナーの、トレード・マークになっちゃったのね。
それでとうとう、ユル・ブリンナーは、髪を生やせなくなったのね。毎日毎日、お風呂で、自分で、頭の毛を剃って、ツルツルにしてたんですね。
それで、ユル・ブリンナーと云えば、ツルツル頭、ツルツル頭と云えば、ユル・ブリンナー、それくらい、有名になったのね。
その、ユル・ブリンナーを有名にした『王様と私』、これは、本当にいた王様、昔のシャム、現在のタイに、実在した王様を、モデルにしてるのね。
その王様は、ラーマ4世と云って、まぁ、マーガリンみたいな名前だけど、これがとっても、すごい王様なの。
この人は1851年から1868年まで、タイの王様だった人なんですね。
1851年と云えば、中国では洪秀全の太平天国の乱が起こり、フランスではルイ・ボナパルト、後のナポレオン三世がクーデターを起こして、日本では2年後に、ペリー提督の率いるアメリカ合衆国艦隊、いわゆる黒船が来た頃なのね。
そして1868年と云えば、日本は王政復古して、明治維新政府が出来た年なのね。
まぁそんな物騒な時期、そんな大変な時期に、この人は、国王だったのね。
それで、世界的にそんな物騒なこの時期に、この人は、タイも、いつまでもこのままじゃいかん、西洋文明のよいところを採り入れて、国を新しくしなくちゃいかん、なんて思って、イギリスと通商条約を結んで自由貿易を進めたり、仏教を近代風に改革したり、農商業を励行して生産を増やしたりしたのね。
そんな改革のなかで、これからは、王子や王女たちにも、西洋風の教育をしなくちゃならん、云うので、イギリスから、家庭教師を招くのね。王子や王女たちの教育を委せる、家庭教師を、イギリスから雇うの。
そうしてやってきたのが、アンナ・レオノーウェンズ云う人なのね。
この人がそのときのことを小説に書いた『アンナとシャム王モンクット』と云うのが、ミュージカルになって、『アンナとシャム王』になって、これが、シャム王の、ユル・ブリンナーが、あんまり素晴らしいので、最初は、家庭教師のアンナが主人公だったんだけれども、ユル・ブリンナーがあんまり素晴らしいので、主人公が逆転して、王様が主人公になっちゃって、『王様と私』になって、ついにとうとう、映画にまで、なったんですね。
この『王様と私』の場面で、すごく好きな場面があって、それは、王子や王女たちに、アンナが、雪のことを教えてるの。
アンナは、王子や王女に、雪のことを教えるんだけど、ここは、タイの国、熱帯の国、そんなの、見たことない、そんなの、聞いたことない、みんなそう云うのね。
王子や王女は、まだこの先生に、アンナに、反撥してて、この先生を困らせてやろう、そう思ってるのね。
それで、
「先生は嘘つきだ、先生は嘘つきだ、そんな白いのが、空から降って来るもんか」
教室が騒然となって、アンナが困ってるとき、王様が入って来るの。王様が、ユル・ブリンナーが、さて、子どもたちはちゃんと勉強してるかな、なんて思って、教室に入って来るの。
そしたら、教室が騒がしい、王子や王女が騒いでる、アンナが困ってる、いったいどうしたんだ、訳を訊いてみると、
「お父さん、お父さん、アンナは嘘つきだよ、アンナは嘘つきだ。空から白いものが降って来るって云うんだ。そんなの嘘だよね」
云うんですね。
王様が、ユル・ブリンナーが、アンナに訊いてみると、
「雪のことを説明してたんです……」
云うんですね。
すると、ユル・ブリンナーは腕を組んで、
「雪か。ウン、昔、若い頃に見たことがある。山の上にある、白い帽子のようなものだった」
云うんですね。
そしたら子供たち、王子や王女たちが、
「ほら、やっぱり先生は、アンナは嘘つきだ。そんな山の上にあるもんが、降ってきたりするもんか」
騒ぐんですね。
そしたら王様が、ユル・ブリンナーが、
「静かにしなさい」
云うて、王子や王女たちを、叱るんですね。
そして、
「知らないことを学ぶからこそ、学ぶんだ。知ってることだったら、学ぶ必要はない」
云うんですね。
いいセリフですね。
学ぶこと、知ること、教えてもらうこと、そのことに、どれだけ謙虚になってるのか。
知ることはすばらしいこと、とっても、ステキなこと、いままで自分が知らなかったことを知ること、それがどれだけ素晴らしいことか、素敵なことか、それを教えてくれるのは、どれだけありがたいことか。
いまの日本の教育は、この根本がないんじゃないか、そんな風に思いますね。
この場面の後で、いかにもミュージカルらしく、ユル・ブリンナーの歌が始まるんですね。
その歌は、
「いままで自分が信じてきたことは何だったのだ。いままで自分が信じていたこと、それが覆ってしまった。しかし、いままで自分が信じていたことの方が間違いで、いま教えられたことのほうが正しいように思われる。いままでのわたしはなんだったのだ」
云うんですね。
これはすばらしいですね。いままでの自分は間違っていた、と、認める、勇気がありますね。新しいことを学ぼう、知ろう、とする、度胸がありますね。
素晴らしい場面ですね。
そして、この王様は、イギリスと通商条約を結んで、イギリスからアンナを家庭教師に招いて、いかにも西洋風な王様なように思われますけど、心の底には、やっぱり、昔風の、タイの、東洋風の、考えが、残ってるんですね。
そんな王様を、なんとか、西洋風の、文明的な王様にしたい、アンナは、この王様を、だんだん、だんだん、好きになっていって、そんな風に思うように、なるんですね。
そこで、アンナは、この王様を、ダンスに誘うんですね。
ダンス、と、云っても、社交ダンス、そんなお上品なダンスじゃないの。
とっても素晴らしい、本当に、いかにも人間らしい、本当に素敵なダンスなんですね。
「思い浮かべてごらんなさい。
星々がまたたく、静かな夜。
あなたを愛している女性が、精一杯美しく着飾って、あなたの前にいる。
あなたは正装して、彼女を迎えている。
聞こえるでしょう? 胸の高鳴りが。
あなたは優しく彼女の肩に手をまわし、
彼女はあなたの腰に手を添える。
さぁ、踊りましょう。
ふたりで愉しく、踊りましょう」
そうして、あの有名な、“Shall we dance”のメロディーが流れるんですね。
このダンスが、素晴らしいのね。
アンナは、イギリスの上流の婦人。ダンスの作法も礼儀も知ってる。
でも、王様は、古い、古い、シャムの王様。
王様はステップもターンも知らない、力強い、野性的な、バーバリズムそのもの、それでも、音楽に合わせて、いかにも、愉しそうに、ダイナミックに、踊るんですね。
そして、踊ってるうちに、なんとも云えん愉しい気分になって、とっても素敵な気分になって、
「あぁ、これが、西洋文明だ。これが、西洋文明の、すばらしさだ」
なんて、思うんですね。
イイですね。素晴らしい場面ですね。
堅苦しい学問、歴史とか、物理とか、化学とか、数学とか、文学とか、そんなんじゃなくて、音楽、ダンスで、西洋の文化の、いちばん大事な、いちばん素晴らしいところ、人間は、みんな同じ人間なんだ、王様も、家庭教師も、西洋の人間も、東洋の人間もない。人間はみんな同じ。男も、女も、王様も、農民も、商人も、貴族も、みんな、みんな、音楽聴けば、愉しい気持ちになって、仕合せな気分になって、みんなウキウキして、踊りだしたくなるんだ。それはとっても、すばらしいことなんだ。それを解らせてくれる、とっても、すばらしい場面ですね。
この映画の最後、ラスト・シーン、ユル・ブリンナーの王様は、病気になって、床に着いて、もうダメ、もうダメ、いよいよ、この王様も、息を引き取る、そんな最後のシーンに、この、ユル・ブリンナーの王様は、長男をベッドの傍に呼び寄せて、
「これからはおまえが王様だ。おまえの思ったとおりにやりなさい」
なんて、遺言するのね。ユル・ブリンナーの王様はまだ生きてるけど、そう云うのね。
そしたら、この、新しい王様、ユル・ブリンナーの王様の長男が、新しい王様だ、これからはこの人が王様だ、云うんで、兄弟姉妹が、みんな、跪くのね。
跪いて、この新しい王様、自分たちのお兄さんに、敬意を表すのね。
自分たちのお兄さんだけど、王様だ、王様だから、敬意を表して、跪かなきゃならない、みんなそう思って、跪くのね。
そしたらこの王子は、新しく王様になった、この王子は、アンナから、西洋風の教育を受けてるから、そんなのおかしい、そんな、兄弟姉妹が、同じ兄弟姉妹に跪くなんておかしい、そう思うのね。同じお父さん、お母さんから生まれた、同じ兄弟姉妹じゃないか。
一緒に遊んで、一緒に勉強して、一緒に泣いて、一緒に笑って、ケンカして、仲直りして、一緒にご飯食べて、一緒にいた兄弟姉妹じゃないか。
なのになんで、その兄弟姉妹を、跪かせなきゃいけないのか。
でもそれが、昔からの、タイの、風習、しきたりなのね。
新しく王様になったその子は、ベッドの上で、病気になって、死にそうになってるお父さん、ユル・ブリンナーのほうを見るんですね。
そしたら、ユル・ブリンナーは、死にそうになりながら、死の床から、
「これからは、おまえが王様だ。おまえが思うようにやりなさい」
云うのね。
そしたら、その新しい王様、まだ幼い、その王様は、
「みんな、立つんだ。跪く必要なんてない。
ぼくらは同じ人間じゃないか。
同じ人間が、同じ人間に、跪く必要なんてない」
そう云うんですね。
そう云って、ふっと、お父さん、死にかけてる、ユル・ブリンナーのほうを見るんですね。
やっぱり、ちょっと、気になってるんですね。
そしたら、ユル・ブリンナーは、いかにも、満足したような、いかにも、嬉しげな表情を浮かべるんですね。
アンナも、傍にいて、いかにも、嬉しそうに、微笑んでるんですね。
そうして、王様は、この、ユル・ブリンナーの王様は、静かに、息を引き取るんですね。
そんなわけで、この『王様と私』、この映画は、ミュージカル、ミュージカルの傑作だけど、それだけじゃなくて、とっても素晴らしい映画、とっても素敵な映画、とっても、とっても、素晴らしい、とっても、とっても、素敵な映画ですよ。
そんなわけで、この素晴らしい映画、この素晴らしいミュージカル映画、1956年(昭和31年)の、『王様と私』、ぜひ、ごらんなさいね。
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