7. カルヴェラたちの到来
カルヴェラたちがやってきます。
村に入ってきたカルヴェラは、中央の広場でクリスたちと対峙します。
カルヴェラは斥候たちが戻ってこなかったわけが分かり、クリスたちが雇われてきたことを知ります。
周囲にはたくさんの防壁が作られています。カルヴェラは越えて中へ入れると云いますが、クリスは出さないために作ったと応じます。
カルヴェラたちを警戒させることなく、いつもどおりの心づもりで村に来るよう誘っておいて、防壁や隠し網で退路を妨害し、いわば袋詰めの状態で戦い、あわよくば壊滅するか、あるいはそれに近い打撃を与えようと云うのが、クリスの作戦です。
カルヴェラは、クリスたちを包囲するよう、部下に指示します。部下が散開してクリスたちを囲みます。
カルヴェラは彼我の人数差から、自分が優位にあると判断しています。カルヴェラたちは四十人です。クリスたちは三人か四人で、村の資力では、とてもそれ以上は雇えまいと踏んでいます。
「一山幾らで買われたんだ」
と、ハリーが物陰から姿を現し、リーが続きます。
ひとりひとりと交渉して雇うとなればその賃金は高くなるでしょうが、何人かを一括して雇えば、その賃金は安くなります。カルヴェラが思っているほど少人数ではないと云いたいのでしょうが、それでも五人です。
カルヴェラが、「俺たちの敵じゃない」と云うのも、もっともです。四十人と五人とでは大きな開きがあります。
クリスは、争い事は好まない、引き取ってくれと求めますが、カルヴェラが承知するはずもありません。
カルヴェラたちは寒い冬を山中で暮らさねばなりません。食べ物が必要です。この村でそれを調達できなかったら、どうすればいいのかと云うのです。
自分で作れ、と、チコが現われます。
続いてオライリーが、それとも働いて稼ぐか、と、屋根の上から云います。
そのどちらも、カルヴェラの選択肢にはありません。カルヴェラはすでに、労少なく、確実に、必要な物資を調達する手段を見つけて、それを実行しています。いまそれに抵抗し、妨害しようとする意図が現れましたが、相手となるガンマンは七人です。村人たちは大勢ではあっても、戦いを知らない農民たちです。カルヴェラはその抵抗や妨害を排除するのに、大した労苦や危険がともなうとは思いません。
「これで話し合いがつくと思ったら大間違いだぞ」
クリスもヴィンも、おとなしく話し合いがつくとは思っていません。
「俺たちは話し合いは苦手だ」
「飛び道具が得意でね」
ヴィンのその言葉に、カルヴェラは調子をやわらげます。
「じゃあ同じ商売じゃないか」
「商売敵だな(only as competitors)」
ヴィンは軽く首を振り、カルヴェラの言葉を否定します。
カルヴェラはヴィンが口にした、「商売敵(competitors)」という言葉の意味を、深く考えません。
村の人々は、自分たちの生活に必要な物資は、自分たちで生産しています。あるいは自分たちが生産した物資の余剰を、生活に必要な他の物資と交換して、その生活を維持しています。
クリスたちは銃の伎倆を提供し、それによって得た対価で生活を支えています。
ともに「労働」であり、カルヴェラたちが行っている「略奪」ではありません。
たとえ銃の伎倆を売り物にできなくなっても、ヴィンは雑貨屋の店員か酒場の用心棒となることを厭いませんし、オライリーは薪を割って朝飯代の代わりにし、ブリットは家畜の運搬に雇われながら、伎倆の向上に努めています。
生活に必要な物資は、自分たちで作るか、働いて稼ぐか、それがクリスたちの考えです。クリスたちにすれば、銃の力で無力な村人をおどしてその物資を略奪するのは、自分の銃の伎倆を自分で無価値にすることであり、自分自身を貶めることです。
クリスたちの商売は銃の伎倆を売って対価を得ることであり、この場合、売った伎倆の使い道は、カルヴェラたちを村から永遠に追い払うことです。
同じく銃を生活のための道具としながら、銃で略奪を行うカルヴェラたちを、銃で追い払うのが、クリスたちの商売であり、カルヴェラたちとクリスたちが、「商売敵」であることの意味です。
「商売敵」というヴィンのセリフが示すように、一見、クリスたちとカルヴェラたちは、相互に敵対しあっているように思われます。
ですが実際には、クリスたちが存在する意味は、カルヴェラたちの存在にかかっています。
合衆国の産業の発展にともなって、共同体の自衛組織が整備され、カルヴェラたちのような略奪者が駆逐されていくにしたがって、クリスたち流れ者の雇われガンマンの就業の機会も減少していきます。クリスたちがその伎倆を発揮し、自分たちが存在する意味を得るには、カルヴェラたちのような、略奪者の存在が必要です。
カルヴェラたち略奪者が西部地域から姿を消さざるを得なくなるとともに、クリスたちもまた、そこから姿を消さざるをえなくなりました。
クリスたちが存在する意味は、カルヴェラたちのような略奪者の存在から生じ、その存在に依存しています。自分たちが存在する意味を生じさせ、その存在を支えている相手を滅ぼすことこそが──逆説で皮肉なようですが──、クリスたちの存在する意味です。
しかしいま、カルヴェラたちをメキシコの寒村の略奪へと追いやり、時代の流れから消滅させていこうとしている根源の力は、クリスたちの働きではなく、合衆国の産業の発展です。
クリスたちもカルヴェラたちも、合衆国の産業の発展にともなって、その存在の基盤を失いつつあります。両者はともに、おなじ原因によって、その存在を否定されつつあります。
カルヴェラはヴィンの言葉には取り合わず、手を組もうじゃないかと持ちかけます。なんでも、最後の一粒まで、自分たちと同じに分けてやる、と云うのです。
お互いに力を誇示していますが、戦いが避けられれば、それに越したことはありません。戦えばカルヴェラたちにも被害は生じます。カルヴェラにしてみれば、勝つと分かりきっている戦いで被害を受けるよりも、クリスたちを懐柔して戦いを避けるほうが、はるかに賢明です。
カルヴェラには、クリスたちも自分たちと同じく銃を生計の道具にしている者たちで、対等の分け前さえ保証すれば、村人たちを捨てて、自分たちと手を組むと思われます。
村人たちに雇われて自分たちと敵対し戦っても、いたずらに命を危険にさらすだけで、利益はありません。それよりもむしろ、自分たちと手を組んで略奪の分け前にあずかるほうが、クリスたちガンマンにとっても好都合だろうと思われます。
チコが横合いから、村の連中はどうなる、と、口をはさみます。
村の連中がどうなるかは、カルヴェラの知ったことではありません。
カルヴェラにとって村人たちは、略奪の対象──自分たちが必要とする物資を提供させるだけの存在──にすぎません。カルヴェラは村人たちが自分たちに必要な物資を提供できさえすればそれでいいのです。その境遇や思いには関心がおよびません。
それをカルヴェラは、
「神さまの思し召しだ。羊には羊の役目があるから、おつくりになったんだぞ」
と、いかにも彼らしく表現します。
カルヴェラには、村人たちには抵抗する力もなく、略奪の対象となることにしか、その存在の意味はないように思われます。
略奪をこととして生きているカルヴェラにとっては、当然の考えです。
クリスとカルヴェラとの「話し合い」が実を結ぶはずもありません。
クリスは銃を捨てて退去するよう要求します。カルヴェラを戦いに誘い込むための挑発です。
カルヴェラの一声に手下たちの銃が火を吹き、ヴィンが素早くそれに応射して、戦いがはじまります。
カルヴェラはクリスの挑発に乗せられ、思いがけなくも戦いを開始することになりました。クリスたちは周到な準備のもと、カルヴェラたちに打撃をあたえます。
クリスたちはまず、自分たちを包囲していたカルヴェラの手下たちを狙い、その包囲網を攪乱します。
カルヴェラたちは、多勢がかえって仇になります。突如の戦闘開始に混乱し、有効な反撃ができません。なんとか散開して村の中を駆けまわりますが、隘路に隠されていた罠の網にからまって落馬したり、物陰から狙われたり、屋根のうえから撃たれたりと、思わぬ被害をこうむります。
新しくできた防塁がカルヴェラたちの行動を妨害し、クリスたちにとっては身を隠す遮蔽物となります。
村人たちも必死で戦います。
形勢不利と察して、カルヴェラもその手下たちも、村を離れようとします。
逃げるカルヴェラたちを、クリスたちガンマンや村人たちの弾が襲います。防塁が馬の足を遮り、罠が行く手を阻みます。物陰に隠れた村人の鎌や棍棒で倒される山賊たちもいます。
ヴィンが逃げるカルヴェラを見つけ、素早く馬にまたがって、騎乗のままライフルを放ちつつ、その後を追いかけます。
※ この戦闘場面をはじめとして、身軽で俊敏な演技を見せるマックイーンを監督
のジョン・スタージェスがいたく気に入り、彼にばかりいい場面をあたえるの
で、ユル・ブリンナーが御機嫌をそこねたエピソードは有名です。
ヴィンの追跡も及ばず、カルヴェラたちは、土埃を舞い上げて、去って行きます。
ヴィンは村外れで馬を下り、彼方に去っていくカルヴェラたちを見つめます。
戦いは終りました。
村人たちは必死で戦い、カルヴェラたちを撃退したのです。