『第七天国』(1927年)

はい、みなさん、こんばんは。
今日は、『第七天国』、この映画のお話、しましょうね。
これは、一九二七年に制作公開された、アメリカ合衆国の映画です。
一九二七年と云えば、日本では、昭和二年です。金融恐慌がはじまり、芥川龍之介が自殺した年です。
まぁ、古い古い映画ですね。この映画は、第一回、初めてのアカデミー賞で、監督賞、主演女優賞を獲得しました。まぁ、すごい映画ですね。
『第七天国』、“The seventh heaven”、七番目の天国ですね。これ、どういう意味でしょうか?


チコと云う、イタリアからの移民の青年がいます。イタリアからの移民は、差別されてたんですね。
それで、このチコと云う青年も、薄暗い、汚い、汚い、地下の下水道の中で、ゴミ掃除の仕事してたんですね。
マンホールの上から、汚いゴミを投げ捨てられて、
「おい、おまえら、しっかり仕事しろ!」
なんて、怒鳴られてるんですね。
チコはしっかり仕事してるんですね。相棒は、おれたちはイタリア人だからしょうがないよ、なんて云ってるんですね。あきらめてるんですね、自分たちはイタリア人だからって。
でも、チコはあきらめないんですね。一生懸命、仕事するんですね。
そのうち親方に認められて、道路の掃除夫になるんですね。
すると、チコが下水道の掃除をしていたときに、マンホールの上からゴミを投げ捨てて、
「おまえら、しっかり仕事しろ!」
なんて怒鳴ってた掃除人が、ニコニコして、チコの肩をたたいて、
「おい、おまえ、偉いな。これからは同僚だ。よろしくたのむぜ」
なんて云うのね。調子がいいのね。
でも、全然、イヤミじゃないの。あっけらかんとしてて、いかにも、気持ちのいい、いかにも、きれいな場面なんですね。
チコも、なんだおまえ、あのとき俺の頭にゴミ捨てやがって、なんて云わないのね。ありがとうって、握手して、
「ぼくはまだまだ、立派になるよ。ぼくは決して負けない人間なんだから」
なんて、笑って云うのね。
そしたらその男も、そうか、がんばれよ、なんて、バンて、背中たたくのね。
いいんだなぁ、その場面が。いかにも、アメリカ的なんですね。
一方、ダイエンヌと云う、とっても、とっても、かわいそうな女の子がいるの。この娘、お父さんもお母さんもいないの。お姉さんと二人暮らしなの。ところが、このお姉さんが、ひどい人なんですね。妹を、ダイエンヌを、とってもいじめるの。あなた、あれやりなさい、あなた、これやりなさい、まあ、あなた、なにこれ、あなた、こんなことも満足にできないの、なんて、とっても、ダイエンヌをいじめるんですね。
まるで、シンデレラの継母ね。お母さんじゃないけど、いかにも、シンデレラの継母みたいなんですね。いじわるなんですね。
それで、とうとう、とうとう、ダイエンヌは、がまんができなくなって、がまんできなくなって、うちを飛び出しちゃうんですね。家出しちゃうんですね。
でも、うちを飛び出しても、ダイエンヌには行くところがないんですね。親戚もいない、お友だちもいない、どうしよう、どうしよう。困って、困って、公園のベンチに腰掛けてるところに、チコがくるんですね。
チコはわけを聞いて、ダイエンヌが気の毒になって、かわいそうになって、ダイエンヌを、自分のうちに連れてくるんですね。
チコのうちは、安アパートの最上階、屋根裏部屋なんですね。チコは、仕事は地下の下水道だけれども、住むところは、上のほう、お空に近いところ、天国に近いところ、そんなところがいい、そんなわけで、この安アパートの、屋根裏部屋に住んでるんですね。これが、七階にあるの。
チコがダイエンヌをその部屋に連れてきて、
「ここは天国だよ」
なんて、嬉しそうに云うのね。
天国なんてものじゃないの、きたない、きたない、薄汚れた、安アパートの、屋根裏部屋、なのに、チコにとっては、天国なんですね。
チコは、自分がイタリアの移民、下水道の掃除夫、きたないきたない、薄汚れた安アパートの住人、そんなの、ちっとも気にしないの。自分は立派な人間、自分には能力があるんだ、それを信じて、ちっとも疑ってないの。とっても元気で、明るいの。好青年なのね。
そのチコを、隣の、これもおんなじようなアパートの、おじいさんおばあさんが、かわいがってるのね。
ああ、あの子、いい子だなぁ、いい子だなぁ、立派な青年だなぁ、なんて、かわいがって、ご飯食べにおいで、晩ご飯一緒に食べましょ、なんて云うのね。
あら、あの子、かわいい彼女連れてきたじゃない、彼女もいらっしゃい、いらっしゃい、なんて云うのね。
この、アメリカの下町の人情が、いかにも、いいんだねぇ。こういう人情、人の情け、人の思いやり、そんなのに、国境なんてないんだね。人種の違い、民族の違いなんて、ないんだね。いいんだなぁ。
チコはね、ああ、おじさん、おばさん、ありがとう、いま行くよ、なんて云って、立てかけてあった、長い板切れを渡すのね。自分のアパートの窓と、おじいさんおばあさんのいるアパートの窓とのあいだに。
そしてその板の上を、ススーッと、歩いていくの。
チコは平気で歩いていくのね。ところが、ダイエンヌは、そんなの怖い、そんなの怖い、七階のアパートの上、そんなの、落っこちたら死んじゃう。怖い、怖い。
おびえて、うつむいて、慄えちゃうのね。
チコが戻ってきて云うのね。
「ダメだなぁ、君は。君はいつもそうして、下ばっかり見ちゃう。ぼくはいつも上を見てる。だから怖いものなんかない。上を見るんだ。上を見て歩くんだ。そうしたら、怖いことなんて、あるものか」
はい、みなさん、どこかで聞いたことがありますね。みなさん、かならずいっぺんは、このセリフ、聞いたことがありますね。
この映画が封切られたとき、映画館の暗いなかで、この映画を観て、このセリフを聞いて、いや、その頃はまだサイレントだったから、字幕ですね、その字幕を見て、
「あぁ、いい言葉だなぁ」
と、感動した青年がいました。
その青年は、後に、大きくなって、歌の歌詞を書くようになりました。
そのときに、若い頃に観て感動した、この、『第七天国』のセリフを使いました。
それが、『上を向いて歩こう』ですね。
その青年、永六輔さんですね。この歌、メロディーは、中村八大さんの作曲ですね。歌ったのが、坂本九さんですね。当時は、「六、八、九」なんて呼ばれました。
この『上を向いて歩こう』が大ヒットして、みんなが口ずさんで、だれでもが知ってる歌になって、とうとう、アメリカにまで、知られるようになりました。
アメリカでも知られて、とうとう、アメリカでも、一番のヒット曲になりました。当時、日本の曲がアメリカでヒットする、ナンバーワンになるなんて、だれも思わなかったの。それが、アメリカでヒットして、ナンバーワンになっちゃったの。すごいなぁ。
そのときの、アメリカでつけた曲の名前が、『スキヤキ』。まぁ、なんちゅうタイトルだろう。なんて、センスのないタイトルだろう。
あの頃スキヤキは、いかにも、日本的なものだったんですね。だからアメリカの人たちは、日本の音楽のタイトルに、『スキヤキ』なんて、つけたんですね。
もうちょっとしたら、『スシ』とか、『テンプラ』になってたかもしれない。まぁ、ぞぉっとしますね。『ゲイシャ』なんて、イヤだね、あんないい曲に、『ゲイシャ』だなんて。センスが疑われますね。ブチ壊しだね。
いまだったら、どうだろう? 『アキバ』、『アニメ』あるいは『オタク』なんて、こっちのほうが、いいかも知れませんね。
でも、この話で、いちばんいいのは、アメリカの映画に感動してつくられた歌が、今度は、アメリカの人たちを感動させたことですね。日本人は、映画でもらったものを、歌で、お返ししたんですね。ありがとう、あなたたちの映画、素晴らしかったですよ、あなたたちの素晴らしい映画のおかげで、わたしたちはこんな素晴らしい歌、つくりましたよ。そうしてつくった歌が、こんどは、アメリカの人たちを感動させたんですね。みごとですね。いいですね。
さて、ダイエンヌは、チコと一緒に暮らすことになりました。いままでにはなかった、しあわせな、しあわせな毎日です。貧しいけれども、やさしいチコがいる、ダイエンヌにとっては、とってもしあわせなんですね。
ところが、戦争が始まりました。第一次世界大戦ですね。戦争が始まって、チコは兵隊にとられちゃった。チコは兵隊にならなくちゃいけない、戦争に行かなくちゃいけない、チコとダイエンヌは、離れ離れになるんですね。
ダイエンヌは、チコが戻ってくることだけを楽しみにして、毎日、毎日をすごしています。チコが戻ってきたとき、うちが汚かったらいけない。チコが戻ってきたとき、着物が汚れてたらいけない。チコが戻ってきたとき、おなか空いてるのに、ご飯なかったらいけない。そうして、うちを掃除して、お洗濯をして、ご飯つくってるんですね。
そこへ、あのお姉さんがやって来たの、ダイエンヌのお姉さん、いじわるな、いじわるなお姉さんが。
あなたなにやってるのこんなとこで、うちに帰りなさい、うちに帰って、あたしの用事しなさい、お金貸しなさい、あんた、あたしのことやりなさい。そう云って、ダイエンヌをおどかすの。
チコがいないから、お姉さんも強気なのね。でも、ダイエンヌは、ノー、云うのね。いやよ、姉さんの云うとおりになんかならないわ、わたしはこのうちで、チコが帰ってくるのを待つのよ、云うのね。もうむかしの、気弱な、気弱な、おびえて、おびえて、ちっちゃく、ちっちゃくなって、震えてる、ダイエンヌじゃないのね。キリッとして、いじわるなお姉さんを追い返すのね。
いかにも、いい場面ですね。チコと一緒になって、チコにやさしくされて、チコに大事に大事にされて、チコの明るさ、元気さに触れて、ダイエンヌは強くなったのね。あの弱い弱い、雨に打たれた小鳥みたいだったダイエンヌが、しっかりした、強い女の子になったのね。いいなぁ。


ところでチコは、戦争で、負傷するんですね。爆弾にやられて、目が見えなくなっちゃうの。失明しちゃうんですね。
それで、これは兵隊にしておけん、戦争させられんって云って、国に帰されるの。
チコは、目が見えなくなっちゃったけれども、やっと、国に帰る、やっと、ダイエンヌのところに帰れる、云うんで、よろこんで、よろこんで、帰ってくるんですね。
最初は、群集の、人ごみのなかに、ちっちゃく、ちっちゃく、チコがいるの。どこにいるのか分からないくらい、ちっちゃく映るの。
そのチコが、一生懸命走りながら、
「ダイエンヌ!」
って、さけぶの。サイレントだから、もちろん、声は出ませんね。字幕ですね。その字幕が、これまた、ちっちゃいのね、その文字が。
今度は、チコが、ちょっと、大きく映る。ああ、チコがいるな、分かるくらい映る。チコは走ってる。
「ダイエンヌ!」
またさけぶ。今度は文字がおっきくなる。
そしたら、その次は、チコのアップ。アップでチコが映る。もう、周りの人が映らないくらいのアップ。
そして、またチコがさけぶ。
「ダイエンヌ!」
今度は、大きな、大きな文字。もう画面からはみ出しそうなほどの文字で、
「ダイエンヌ!」
って、映る。
うまいなぁ。サイレントだから、声は聞こえないんだけれども、いかにも、大声でさけんでる声が、聞こえてくるんですね。映画のマジック、映画の魅力ですね。
そうして、チコはダイエンヌのところに戻ってくる。ダイエンヌも喜んで、チコと抱き合う。それを、あの掃除夫、この映画の最初で、下水道を掃除してたチコの頭の上にゴミを捨てた掃除夫が、いかにも、よかったな、よかったな、おまえら、よかったな、云う顔でながめてる。
そしたら、ダイエンヌが、気づくんですね。
あら、あんた、チコ、あんた、目が見えないんじゃないの、目、見えなくなったんじゃないの。
そうだよ、チコが云うんですね。
まあ、なんてこと、やっと、やっと、戦争終って、人殺ししなくてもよくなって、やっと帰ってこれたのに。
ダイエンヌは泣くんですね。チコ、かわいそうに。チコ、かわいそうに。
そのダイエンヌに、チコは云うんですね。
「ほら、下を向いちゃいけない。上を向こう。上を向いて歩けば、怖いものなんかないんだから。目が見えなくなったくらいでくじけるもんか。ぼくは、やれる人間なんだから」
そう聞いて、ダイエンヌはにっこり微笑みます。
同僚の掃除夫も、そのとおり、と、云うみたいに、バン、と、チコの背中をたたきます。
三人が、明るい笑い声をあげます。もちろん、サイレントだから、その声は聞こえません。でも、耳に聞こえなくても、心には聞こえてくるんですね。その、明るい、とっても、とっても、ステキな笑い声が。
そんなわけで、これは、一九二七年、昭和二年の映画、古い、古い映画、もちろん、モノクロ、もちろん、サイレント。だけれども、とっても、素晴らしい映画ですよ。
この素晴らしい映画、『第七天国』、ぜひ、ごらんなさいね。

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