『サウンド・オブ・ミュージック』(1965年)

はい、みなさん、こんばんは。
今日は、『サウンド・オブ・ミュージック』、この映画のお話、しましょうね。
『サウンド・オブ・ミュージック』、これはもう、みなさん、よくご存知ですね。
ミュージカル映画の傑作、とってもきれいな映画、とってもさわやかな映画、とってもステキな映画、ですね。
こないだテレビのニュース番組観てたら、あら、あんたもテレビ観るの? ですって?
まぁ、失礼ね。わたしだって、テレビくらい観ますよ。たまには。
そんなわけで、テレビのニュース番組観てたら、この『サウンド・オブ・ミュージック』の特集、やってるの。あら、どうしたのかしら、イキなことしてるじゃない、なんて思って観てたら、なんと、今年2015年は、この『サウンド・オブ・ミュージック』が出来て、ちょうど、50年になるんだって。
なるほど、この映画は、1965年、昭和40年の映画だから、今年でちょうど、50年になるわけね。
50年と云えば、半世紀、もう半世紀も前になるのね、この映画がつくられてから。
まぁ、古い映画になっちゃったね。
でも、やっぱり、きれいな映画、さわやかな映画、ステキな映画であることには、変わりありませんね、50年経っても、半世紀経っても。
この映画は、オーストリアの、きれいな山並み、あのアルプス連山の、あの綺麗な山並みや、その麓にひろがる、いかにもきれいな町並みを舞台にして、あのアルプスの大自然を、いかにもきれいに、撮影してますね。
この映画を評して、「ミュージカルのキャメラが、大自然に入った」なんて云った人がいましたけど、まさに、そのとおりですね。
それまでミュージカルの映画と云えば、撮影所にセットを組んで、撮影所のなかで、撮影所の中だけで、撮影してたんですね。ロケーションなんて、なかったんですね。それが、この映画で、ロケーション撮影が行われたんですね、ミュージカル映画で。これは、じつに、画期的なこと、斬新なこと、新しいことだったんですね。
1961年に、『ウエストサイド物語』ができたときにも、「ミュージカルのキャメラが、街中に飛び出した」なんて云われましたけど、この『サウンド・オブ・ミュージック』のときにも、同じように云われたのね。


この『サウンド・オブ・ミュージック』の主人公は、マリアさん、と、云って、修道女、シスター、西洋の、キリスト教の教会の、尼さん、その尼さんの、見習い、学生なんですね。
これから一生懸命、お勉強して、聖書、キリスト教のお経を勉強して、お勤めして、説法聴いて、そうして、一人前の尼さん、シスターになる、そんな人なんだけど、まぁ、このマリアさんと云う娘が、トンデモナイ娘さんなのね。
お勉強キライ、お経、聖書キライ、お勤めキライ、説法聴くのキライ、そんな辛気臭いことしてるより、お外行って、踊って、はしゃいで、歌唄ってるのが好き、そんな、ほかの尼さんたちから見たら、とんでもないお転婆娘なのね。
それで、あなた、そんなことではいけません、そんなことでは、立派な尼さん、立派なシスターになれません、なんてお説教するんですけど、このマリアさんは、全然、堪えないのね。
怒られて、お説教されて、そのときは、シュン、と、なってるんだけど、ちょっとすると、もうまた、お外行って、歌って、はしゃいで、そんなことの繰り返しなのね。
それで、シスターたち、尼さんたちが、もうあの娘は手におえない、好い子なんだけど、とっても手におえない、わたしたちではどうしょうもない、なんて、とうとう匙を投げちゃうんですね。
そこで、尼さん、シスターたちは、一計を講じるんですね。
ある日、このマリアさんを呼び出して、あなた、家庭教師、やりなさい、云うんですね。
マリアさんが吃驚してると、トラップさんと云う軍人さんのお家が、お母さんがいなくて、子どもさんたちの面倒見る人を探してる、あなた、そのお家に行きなさい、あなたみたいな子は、厳しい軍人さんのお家で、厳しくしてもらわなくてはいけません、なんて云って、ムリヤリ、この娘さん、尼さん見習いのマリアさんを、軍人さんの家の、家庭教師にしちゃうんですね。
まぁ、そんなのイヤ、そんなのイヤ、軍人さんのところなんて、そんなところ、軍隊みたいなところに決まってる。そんなところ行ったら、もうお外出て歌えない、勝手にお外に出て、歌ったり、踊ったり、はしゃいだりできない。イヤだ、イヤだ、イヤだ。
でも、とうとう、マリアさんは、この軍人さん、トラップさんのお家に行くことになるのね。
そのときマリアさんは、これからの自分を勇気づけるように、歌を歌うのね。
マリアさんを見送るシスター、尼さんたちも、「神さま、マリアをお見守りください」なんて歌うのね。
いい場面ですね。きれいですね。
厳しいけれども、恐いけれども、それでも、このシスター、尼さんたちは、やっぱり、マリアのことを気にかけて、心配してるのね。マリアのことが好きなのね。マリアに、立派なシスター、尼さんになってもらいたい、思ってるのね。
そう思って、わざと、厳しい軍人さんのお家に、家庭教師として、送り出すのね。


さて、マリアさんは、その軍人さん、トラップさんのお家に着いて、お父さんと会って、お父さんに、お家のこと、教えてもらうのね。
あぁ、君がマリア君か、よろしく頼むよ、家は子どもが多くてね、大変だろうが、しっかりやってくれたまえ、なんて云って、よし、じゃあ、子どもたちに引合わせよう、云うて、スッ、と、椅子から立つと、呼子笛を出して、ピー、って、鳴らすのね。
マリアさんが吃驚してると、二階の部屋のドアが、バタバタバタ、って、開いて、子どもたちが、ドタドタドタ、って、部屋から出てきて、ダンダンダン、って、階段を駆け下りてきて、お父っつあんの前に、ピタッと並ぶのね。きれいに、整列するのね。
そして、お父っつあんが、今度来てくれた先生だ、なんて、マリアを紹介して、みんな、ご挨拶しなさい、なんて、云うのね。
そしたら子どもたちが、一番年上の娘が、一歩前に出て、ご挨拶するのね。
そしてその娘が一歩下がって元の位置に着くと、今度は次に大きい子が、また一歩前に出て、ご挨拶するのね。
それがすむと、その子もまた一歩下がって、元の位置について、今度は……。
云う具合に、みんなが先生、マリアさんにご挨拶するのね。
それを見てマリアさんは、もう吃驚仰天、なにこれ、まるで軍隊じゃない。そう思うのね。
あぁ、エライ大変なところに来てしまった……、そう思うのね。

それでもマリアさんは、一生懸命頑張って、だんだん、子どもたちと仲良くなって、いろんなお話しするようになるんだけど、あるとき、このお家では、歌唄っちゃいけない、って、聞くのね。
このお家では、歌を唄っちゃいけないんだ、亡くなったおっかさんが歌が好きで、しょっちゅう歌ってたんだけど、そのおっかさんが亡くなって、歌うと、その、亡くなったおっかさんのことを思い出して辛いから、歌唄っちゃだめだ、って、お父っつあんが云うんだ、云うのね。
そしたらマリアさんが怒って、まぁ、なんてひどい、なんてひどいんでしょ、歌唄っちゃいけない、なんて、そんなのひどい、ひどい。
歌を唄うのは素晴らしいこと、ステキなことなのに。
イヤなこと、ツラいことがあったとき、歌を唄ったら、そのイヤなことも、ツラいことも、みんな吹き飛んで、みんななくなって、とっても仕合せになれるのに。
愉しいこと、嬉しいことがあったとき、そんなときに歌を唄うと、その愉しみが、その嬉しさが、もっと、もっと、愉しく、嬉しくなるのに。
なのに、歌を唄っちゃいけないなんて、そんなのひどい、そんなのひどい……。
そこでマリアさんは、一計を講じるのね。
マリアさんはお父っつあんに、子どもたちをピクニック、ハイキングに連れて行きたい、云うのね。
お父っつあんは、うん、ピクニックか、ハイキングな、うん、それはいい。軍人の子どもたるもの、つねに身体を鍛えておかねばならん、ピクニック、ハイキングは、身体を鍛えるにはいいことだ、行きたまえ、行きたまえ、なんて云って、喜んで、賛成するのね。
さぁ、子どもたちは大はしゃぎ。長いことお外に出るなんてこと、なかった。お外に出て、山の中の、大自然の中で、厳しいお父っつあんのいないとこで、みんな遊んで、はしゃいで、お弁当食べて、愉しむのね。
マリアさんはそんな子どもたちを見て、ほんとうに仕合せそうに、ニコニコしてるのね。
そしたら一人の子どもが、先生が、マリアさんが、なんか変なもの持ってるのに気づいて、先生の傍に来るのね。
先生、変なもの持ってる、見たことないもの持ってる、あれなんだろう、お弁当箱かな? おもちゃ箱かな?
先生、それなに? それ、なにが入ってるの? 云うと、先生、マリアさんは、これ? って、悪戯っ子みたいな微笑みを浮かべて、とっても素晴らしいものよ、って云って、その入れ物開けるのね。
そこから出てきたのは、ギター、なのね。
マリアさん、お父っつあんに内緒で、ギター、持ってきたのね。
そして、さぁ、みんなで歌いましょう、云うのね。
そしたら子どもたちは、ダメだよ、お父っつあんに、歌っちゃいけない、歌ったりしたら、お父っつあんに叱られるよ、云うんですね。
大丈夫よ、ここならお父っつあんにバレないわ。だから安心して、みんなで歌いましょう、云うのね。
子どもたちも喜んで、歌おうとするんだけど、でも先生、ぼくたち、歌なんて知らないよ、歌なんて、どうやって歌うの、どうすればいいの、云うんですね。
マリアさんは、簡単よ、こうすればいいの、云うて、ギターを弾いて、歌い出すんですね。
それが有名な、『ドレミの歌』ですね。
しばらく聴いていた子どもたちも、あぁ、これなら歌える、これなら歌える、云うて、みんなで、この『ドレミの歌』を、歌うんですね。
いいですねぇ。きれいですねぇ。とっても、ステキな場面ですね。
オーストリアの、アルプスの、真っ白な雪が見える山の中、大自然の中で、子どもたちと先生が、一本のギターで、一緒の歌を唄う。愉しそうに、嬉しそうに、みんなで歌う。
とってもステキな、とっても素晴らしい場面ですね。

お父っつあんは、歌を唄っちゃいけない、云うたけれども、それは、歌がキライなんじゃなくて、歌を唄うと、亡くなったおっかさん、大好きだった嫁さんを思い出して辛いから、歌唄っちゃだめだ、云うてたんですね。
ほんとはお父っつあんも、歌は大好きなんですね。
それで、このお父っつあんと、先生のマリアが、だんだん、だんだん、仲良くなってきて、だんだん、だんだん、お互いのことが解かって来て、そうしてとうとう、このふたり、結婚することになるんですね。
子どもたちも、みんなこの結婚に、この縁組に賛成して、このお家が、トラップ家が、とっても仕合せに、とっても和やかに、とっても幸福に、なるんですね。
ところが、そこに、ナチがやってくるの。

隣の国のドイツ、ナチが、ナチスが、軍隊を繰り出して、オーストリアを、乗っ取っちゃう、オーストリアを、併合しちゃうんですね。
お父っつあんは、軍人だけれども、ナチは嫌い、大嫌い、ナチが、オーストリアの全部の家の軒先に、ナチの紋章、ハーケンクロイツ、鉤十字の紋章の旗を掲げろ、なんて指令を出したときは、そのナチの旗、ナチの紋章、ハーケンクロイツ、鉤十字の紋章の旗を、ビリビリ、って、破り裂いた、それくらい、ナチが嫌いなんですね。
そのナチが、ナチスが、軍隊を繰り出して、ムリヤリ、力づくで、オーストリアを併合したけれども、俺たちはなにも、野蛮人じゃない、おれたちだって、文化的なんだ、それを教えてやろう、なんて、考えて、音楽会を開くんですね。自分たちも、音楽に理解があるんだ、そういうことを示そうとして、音楽会を開くんですね。
その音楽会に、トラップ一家を招くの。招く、と、云うよりも、出ろ、出場しろ、云うて、強制するのね。
ナチの圧力だから、この音楽会には出なくちゃいけない、でも、ナチの支配する、ナチに併合されたオーストリアにはいたくない、オーストリアのことは好きだけれども、ナチに支配された、ナチに併合されたオーストリアは、ほんとうのオーストリアじゃない、こんな、ナチに支配された、ナチに併合されたオーストリアは出て行って、オーストリアが、ほんとうのオーストリアになれるよう、頑張ろうじゃないか、そう云って、お父っつあんは、オーストリアを出て行こうとするのね。
マリアさんや子どもたちに、そのことを話すと、みんな、マリアさんも、こどもたちも、お父っつあんに賛成するのね。賛成するけれども、音楽会には、出なくちゃいけない。じゃあ、その音楽会が終わったら、みんなでオーストリアを出て行こう、みんなでアメリカに行こう、云うことになるのね。
それで、その音楽会、ナチス主催の音楽会に、トラップさんの一家は、出るんだけれども、そこで、お父っつあんは、『エ―デルワイス』を、歌うのね。
エーデルワイスは、オーストリアの国花、国の花、なのね。
それは、ひまわりや菊みたいな、堂々とした花じゃないの。チューリップみたいな華やかな花でもないし、桜みたいな絢爛な花でもない、それは、アルプスの高原にひっそりと咲く、小っちゃな、小っちゃな花、小っちゃな、小っちゃな花だけれども、それは、とってもきれいな花、小っちゃくて、真っ白で、とっても、とっても、きれいな花。
オーストリアも、そんな国、小っちゃくて、小っちゃくて、大きな、大きな、ナチスに併合されちゃったけれども、それでも、オーストリアは、きれいな国、すてきな国、とっても、とっても、素晴らしい国、この『エーデルワイス』は、そんな歌なのね。
お父っつあんは、この歌を唄ってる最中に、涙ぐんで、涙が出てきて、声がつまって、歌えなくなっちゃうのね。
オーストリアはいい国、オーストリアは素晴らしい国、オーストリアはとってもきれいな国、そう思って歌ってたんだけど、そのオーストリアは、ナチスに併合されちゃった、ナチスに占領されちゃった、もうステキなオーストリア、素晴らしいオーストリア、きれいなオーストリアはなくなっちゃった。もうオーストリアはないんだ、なくなっちゃったんだ。
そう思うと、悲しくなって、悲しくなって、歌えなくなっちゃうんですね。
舞台の上で、涙出てきて、声がつまって、歌えなくなったお父っつあんに、会場から、客席から、マリアさんが立ち上がって、後を続けるんですね。マリアさんが、おっかさんが、お父っつあんの後を引き継いで、お父っつあんの後を、歌い継ぐんですね。
そしたら、今度は子どもたちが、歌い出すんですね。
そうして、お父っつあんも、勇気づけられて、元気になって、これじゃいかん、思うて、また、歌い出すんですね。

♪エーデルワイス エーデルワイス 真っ白な花よ
 清く揺れる 雪に咲く花

そしたら、会場中が歌い出すんですね、会場に来ていた、オーストリアの人たちが立ち上がって、

♪香れ朝の風に 永久に咲けよ

そして、みんなが、声を揃えて歌うんです。

♪エーデルワイス エーデルワイス
 祖国の花よ

みんなが、会場中のみんなが、歌うんですね。
みんなが、会場中のみんなが歌う、その歌声の中に、

トラップさん、大丈夫ですよ。
オーストリアは、けっして、なくなったりしませんよ。
みんな、オーストリアが、大好きなんですよ。
みんな、オーストリアを、忘れませんよ。
ナチに併合されても、わたしたちは、オーストリアを、忘れませんよ。
あなたがたが、わたしたちが、この素晴らしい国、このステキな国、このオーストリアを忘れないかぎり、オーストリアは、絶対に、なくなったりはしませんよ。
だから安心して、アメリカへお行きなさい。

そんな気もちが、聞こえてくるんですね。
オーストリアを、自分たちが生まれ育ったこの国を、愛し、慈しみ、誇り、いつまでも忘れまいとするその心に、周辺を警備していたナチの連中も、手も足も出ないでいるんですね。
まぁ、きれいな場面、すてきな場面、素晴らしい場面ですね。
国の素晴らしさ、国の偉さ、国の偉大さは、まさに、軍隊が強いか、領土が広いか、そんなことにあるんじゃない、国の素晴らしさ、国の偉さ、国の偉大さは、いかにその国を愛している人がいるか、いかにその国を慈しんでいる人がいるか、いかにその国を大事に思っている人がいるか、そこにあるんですね。
そしてその思いは、決して、強制や、圧力なんかで、ムリヤリ植えつけられたりするもんじゃないんですね。
いくらナチが、ナチスが、軍隊の力で、今日からおまえたちはドイツ国民だ、だからドイツを好きになれ、ドイツの国を、いい国だ、思え、云うても、とても、そんなことはできませんね。
愛国心、なんて云うのは、そんなものじゃありませんね。
その国の文化、その国の自然、その国の歴史、そう云ったものが、ほんとうに、心の底から、あぁ、いいなぁ、素晴らしいなぁ、すてきだなぁ、思うたときに、その国に対する愛情、その国を大切に思う気持ち、この国に生まれてよかった、この国に育ってよかった、この国のためになにかしたい、そんな気もちが、芽生えてくるんですね。

それと、この映画で素晴らしいのは、トラップさんとこでは、なにか、みんなで、こうしよう、ああしよう、なんてことを決めるときに、子どもたちも一緒になって、その意見を聞くのね。
ふだんはお父っつあんが、ああしなさい、こうしなさい、云うけれども、大変なとき、一大事のとき、これまでとは大きく物事が変わるときには、子どもたちにもそのことを話して、子供たちの意見を聞いて、それから決めるのね。
お父っつあんがマリアさんと結婚しよう、云うたときも、みんなでアメリカに行こう、云うたときも、みんなで決めたんですね。みんなで、子どもたちもみんな入って、決めるのね。
そのとき、一人でも、たった一人でも、反対したら、それは、なしになるのね。
いちばん小っちゃい、いちばんチビの子でも、その子が反対したら、それはなしになるのね。
すばらしいですね。素敵ですね。みんなにかかわることは、みんなで決める。お兄さんも、お姉さんも、妹も、弟も、チビちゃんも、お父っつあんも、みんな、同じ人間、同じ一人、として、見なされるんですね。
お父っつあんも、賛成しなさい、なんて、云わないのね。チビちゃんも、イヤだ、イヤだ、なんて、ダダこねないのね。
こうだからこうなんだ、でもこうなんだから、こうでしょ、なんて、みんなで話し合って、結論を出すんですね。
それを、みんなが納得するまでやるの。みんなが、いちばん小っちゃいチビちゃんも、心の底から納得できるまでやるの。どうしても納得できなかったら、それはなしになっちゃうのね。
まぁ、なんてステキなんでしょ。なんて素晴らしいんでしょ。なんて立派なんでしょ。
これこそ、民主主義、これこそ、自由、ですね。

そんなわけで、この『サウンド・オブ・ミュージック』、これは、とってもステキなミュージカル映画ですけれども、それだけじゃない、人間が生きて行くうえで、とっても大切なこと、とっても大事なことを教えてくれる、とってもステキな映画ですよ。
この素晴らしい映画、『サウンド・オブ・ミュージック』、ぜひ、ご覧なさいね。

サウンド・オブ・ミュージック 製作50周年記念版 DVD(2枚組)
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20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン