昔、西園寺公望と云う人がいた。明治末期に内閣総理大臣をつとめた人である。
その姓名からうかがわれるように、彼の出自は、やんごとなきお公家さまである。
その西園寺氏が正式に首相の印綬を帯び、第一次内閣を組織したのは、一九〇六(明治三十九)年のことであるが、彼はそれ以前にも、首相代理の職を勤めたことが二度ある。
その二度目のときは、第四次伊藤博文内閣が総辞職する際、渡辺国武と云う大蔵大臣であった男が、頑固にも辞表を出さなかったのを、なんとか説得して辞表を出させるために、任命されたのである。
渡辺は頑固一徹、自称剣道の達人で、生涯独身だったというカタブツである。
西園寺はその説得に手を焼いた。
或る日彼は家に帰ってくると、
「伊藤はんが面倒な仕事を押しつけなはって、こちはえらい尻ぬぐいでおすがな」と、妻の菊子さんに向かってボヤいた。そしてなんと、妻の面前で、「どうも女遊びをしない 人は、話がしにくうおすなあ。少しはこちを見習うとよろしい」
と、云い放ったのである。
しかし妻の菊子さんもたいしたもので、夫のその言葉を聞いても怒るどころか、
「あんたのは話が通りすぎて、ゆきすぎと違いますか」
と、笑ったものである。