東京大学安田講堂陥落の日のひとりめし

1969年の今日、全学共闘会議(いわゆる全共闘)の面々によって占拠されていた東京大学安田講堂が、昨18日より行われた警視庁機動隊によってバリケード封鎖を解除された。
昭和史に残る東京大学安田講堂事件である。
当時はベトナム反戦運動や、安保自動継続阻止など、いわゆる学園紛争が盛んな時期であった。それはなにも日本だけの現象ではなく、フランスやアメリカ合衆国、西ドイツ、イタリアなどでも見られた、いわゆる先進諸国に共通した現象だった。
その頃の雰囲気は、フォークソングの名曲「『いちご白書』をもう一度」や、藤原伊織氏の『テロリストのパラソル』が、よく描き出している。
もちろん、そのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
いつもながらの、平和な献立である。
それにしても安田講堂に立て籠もっていた全共闘の人たちは、安田講堂落城のこの朝、どのような食事を摂っていたのだろうか。

 

献立:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、ポタージュ・スープ、野菜ジュース、バナナ(3本)

サワラの塩焼きは、公約(?)のとおり、近所のスーパーで買ってきた、出来合いの総菜である。
これまた20%引きの値引きシールに惹かれて、揚げ物コーナーの食材を断念した。と、云っても、もともと揚げ物よりも、焼魚のほうが好きな性分だから、別段残念とも思わない。ただ数日前、思い見ればここしばらく、揚げ物を食べていないなぁ、と、気づいたので、ここらでなにかひとつ、久しぶりに、揚げ物でも食べようか、と、思ったのである。
当然のことながら、魚に好き嫌いはない。サバでもサワラでもブリでも鮭でもタラでもカツオでもイワシでもキビナゴでも、なんでも大好物である。
弁当箱のスペースの関係で、カボチャの煮物をギュウギュウ詰めにしてしまった。せっかく上手い形に出来ていた1食分だけに、ちょっと残念である。

 

献立:麦飯(海苔と野菜のふりかけ)、サワラの塩焼き、カボチャの煮物

鮭は焼鮭に使うような切身を2切、鰯のつみれは3個、結構な量である。
麩も、昨日はそのまま入れたが、今日はキチンと水で戻してシッカリ絞り、それから入れた。
建前から云えば、一汁一菜の簡素な献立だが、粕汁の具が、豪華豪勢に盛り沢山である。弁当も加えれば、1日で10種類もの野菜を摂取している。我ながら、アッパレ、で、ある。
“肉の食べ過ぎで健康を損ねた人はいても、野菜の食べ過ぎで健康を損ねた人はいない”
母者の名言である。
全然関係ないが、今日はわたいの大好きなシンガーソングライター、川本真琴嬢のお誕生日である。

 

献立:玉子麦飯、粕汁(鮭、鰯のつみれ、大根、人参、白菜、大根の葉、長ねぎ、麩、糸こんにゃく、油揚げ、ニラ、もやし、貝割)、ほうれん草と白菜のごま和え、納豆、味付海苔