1885年(明治18年)の今日、それまでの太政官制度に替り、本邦初の内閣制度が発足した。
首班となる内閣総理大臣には、長州出身の伊藤博文が坐したことは、みなさん、ご存じのとおりである。
奇妙なのは、このときにはまだ、憲法(大日本帝国憲法)が存在していなかったことである。
わたいの感覚としては、憲法が制定され、その規定に基づいて、内閣が発足し、議会議員選挙が行われ、議会が構成される、と、思うのだが、実際には──少なくとも我が国においては──そうではなかった。
ちなみに、日本初の近代立憲主義に基づく憲法が発布されたのは、内閣発足から4年後の、1889年(明治22年)のことである。
そのときの内閣は、薩摩出身の黒田清隆を首班に戴くものであった。
学生時代、日本史の試験で、大日本帝国憲法発布時の内閣総理大臣はだれかを問う問題に、ほとんど生徒が「伊藤博文」と答えたのを知って、苦笑を禁じ得なかった。
伊藤は憲法制定のために内閣総理の職を辞し、後継に薩摩の黒田を推したのである。
まぁ、そんなことなど知らなくても生きては行けるし、知ってるからと云って偉いわけでも恥ずべきことでもない。
もちろん、そのことを知っているから、と、云って、わたいの食卓に並ぶ献立に影響が及ぶはずもない。
いつもどおりの、変り映えのせぬ献立である。
ところで、本邦初の内閣制度発足と相成ったこの日、その内閣を構成していた閣僚の諸士は、いったい、どのような朝食を喫したのであろうか。
献立:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ(3本)
豚肉に含有されている栄養分を、よりよく摂取するには、にんにくが有効である、と、云うことで、みそかつおにんにくをトッピングした。
にんにくだけでなく、玉葱も有効だ、と、云うことである。それを思えば、豚肉の生姜焼きは、じつに理に適った献立だ、と、いまさらながらに感嘆する。
使用する豚肉も、なにも生姜焼き用だけに限らない。
わたいは小間切れをよく使う。
肩ロースを使うときもある。
根がひねくれているのか、天邪鬼なのか、生姜焼き用、と、銘打ってある豚肉は、使ったことがないように思う。
チューブの生姜と、チューブのにんにくを、料理酒と薄口醤油で溶いた漬けダレ(たまに、はちみつを少々加える)に、件の豚肉と、半月型にスライスした玉葱を漬け込む。
焼くときは、温めたフライパンに、油をひかずに乗せ、中火で焼く。
豚肉の色が変わり、玉葱がしんなりしたら、弱火にする。
玉葱が飴色になってきたら、火を止めて、蓋をする。
5分弱、蒸し焼きにしたら、出来上がり! で、ある。
じつに簡単である。しかも、すぐにできる。まことに重宝な献立である。
この献立を考えだした人は、褒賞されてしかるべきである。
献立:麦飯(みそかつおにんにく)、豚肉の生姜焼き、カボチャの煮物