冬至の日のひとりめし

今日は、云わずと知れた、冬至の日、である。
冬至とは、これまた云うまでもなく、1年で一番、昼の時間が短い日である。
つまり、これからは、一日一日、日が長くなっていくのである。
それは冬に終わりを告げ、春の訪れを迎えることでもある。
そんなわけで、北半球の各地では、この日や翌日、さらには直後の数日にわたって、冬至祭が祝われる風習がある。
現今のクリスマスも、古代の冬至祭が、キリスト教と混淆して出来上がったものである。
いまはなきソビエト社会主義共和国連邦を構成していた諸共和国でも、建前上、クリスマスの祝いは禁止されていたが、その代わりに、冬至祭が祝われていた。
まるで聖母マリアを観音仕様に仕立ててこれを拝んでいた、どこぞの国の隠れキリシタンみたいである(ちょっと違うか?)
もちろん、そのことと、わたいの食卓を飾る献立とには、なんらの関連もない。
冬至もクリスマスも、夏至も彼岸もない、相変わらずの献立である。

 

献立:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ(3本)

冬至と云えば、なんと云っても、カボチャの煮物、である。
小豆粥、と、云うのもあるらしいが、食べたことはない(と、思う)。
いとこ煮、と、云うのもあるらしく、これは、食材をおいおい(甥々)入れていき、めいめい(姪々)炊きこんでいく、と云うことから、名づけられたらしい。なかなか粋な料理名である。
カボチャは栄養成分が豊富で、体を温め、風邪の予防や免疫力を高める効果がある。そんなわけで、冬至のこの時期に食べることが推奨されているのである。
かつては、このような古来よりの伝統習俗を、迷信、と、安易に片づける浅薄な風潮が広まり、浸透していたが、現在では自然科学の発展により、その正当性が裏付けられるようになっている。よろこばしいことである。西洋合理主義に毒された浅薄なインテリの考えなどよりも、東洋実証主義に裏打ちされた古来よりの伝承習俗のほうが、はるかに優っていることが、ほかならぬ西洋合理主義の骨頂とも云える自然科学の力によって証明されつつある、と、云うことは、諧謔のユーモアを滲ませて、じつに愉快である。
辛子明太子は、親爺殿の九州土産である。久しぶりに、本場の辛子明太子を食することができたのは、欣喜のいたりである。
わたいに云わせれば、こちらで販売されている辛子明太子は、本場と謳っていようが、元祖と称していようが、あるいは本家とのたまっていようが、みな紛い物なのである。

献立:麦飯(辛子明太子)、豚肉の生姜焼き、カボチャの煮物

冬至の日には、こんにゃくも食べる習慣があるらしい。
こんにゃくは、「胃腸の砂おろし」と云われているように、胃腸の有害物質を排出する効果があり、体内の大掃除、と、云った意味合いで、冬至の日に食べるらしい。
そんなこととはつゆ知らず、粕汁には糸こんにゃく、と、云うわけで、入れたのである。
今頃思うのもどうかと思うが、どうも味噌汁だの、粕汁だの、と、なると、できるだけいろんな食材を入れようとする傾向にある。
少しでも多くの食材(主に野菜)を摂取しようとする心がけは、我ながら、アッパレであるが、要は調理の手間をかけず、しかも、洗い物を少なくしよう、と、云う、せせこましい手抜き根性の表れである。

しかしながら、手荒れが酷くなるこの季節、洗い物が少ないに越したことはないのである。

それにしても、それにしても、辛子明太子は、やっぱり、美味いわぁ~

 

献立:玉子麦飯、粕汁(鮭、大根、人参、白菜、玉葱、糸こんにゃく、長ねぎ、ちくわ、油揚げ、ニラ、もやし、貝割)、ほうれん草と白菜のおひたし(油揚げ、ちりめんじゃこ入り)、辛子明太子、納豆、味付海苔